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January 09, 25
スライド概要
◆徹夜必至につき閲覧注意の「〇見え通信」https://linktr.ee/koizumikazuma◆長野市議4期◆自称スーパー無所属◆情報公開徹底◆市民第一主義◆主著「長野県庁の『不都合な真実』」は平安堂ランク最高2位◆元長野県庁職員◆大北森林組合事件で住民監査請求成功◆一軒の苦情で!? 青木島遊園地廃止に大反対◆URLまとめhttps://bit.ly/m/kazuma◆以前使っていた資料公開サイトhttps://www.slideshare.net/kazumakoizumi1/documents
(126) 2014年9月30日 長野市長 加藤 久雄 様 NPO法人松代大本営平和祈念館 理事長 松代大本営の保存をすすめる会 会 長 松代大本営跡の長野市による史跡指定、その他に関する要望書 貴職におかれましては、日頃より国指定の大室古墳はじめ、松代町内の歴史的建造物など市内に残る 歴史的文化財・遺跡の保存管理に尽力されていますことに敬意を表します。また例年10万人もの見学 者が平和・歴史学習の場として訪れる「松代大本営跡」につきましても「象山地下壕」を中心に、保存・ 管理・公開を長期間継続していただいておりますことは、長野市行政・教育行政のご理解ご見識による ものと感謝いたしております。 1995年3月、文部省(当時)は文化財保護法に基づく「史跡名勝天然記念物指定基準」を改正し、 第2次世界大戦終結までの戦争遺跡を含む重要な遺跡が史跡指定の対象となることを定めました。こ れにより同年6月ヒロシマ原爆ドームが国の史跡に指定され、その後ユネスコの「世界遺産」に登録さ れました。 基準見直しに基づいて全国では216件(2014年7月現在)の戦争遺跡が国及び地方自治体により指 定または登録されています。その内訳は、指定文化財は、国23件、県13件、市区町村95件、登録文 化財は、国70件、市区町村13件、遺道産・市民文化遺産3件となっています。 文化庁は2002年~2005年にかけて全国の戦争遺跡について、所在報告のあった544件のうち51件 の詳細調査を実施し、松代大本営跡の調査も2003年に行われました。この調査結果をまとめた「近代 遺跡調査報告書(9) 政治・軍事」の発行が大幅に遅れております。そのため文化庁文化財部記念物課 は、平成25年1月25日付けで、各都道府県教育委員会、文化財行政主管課に宛てて「近代遺跡の保護 に関する取組みについて(周知)」を事務連絡として通知しています。長野県を通じて長野市にも届い ていることと存じます。 この通知を受けて松代大本営跡とほぼ同規模とされる東京八王子市、浅川地下壕を含む地域が公園化 され保存をすすめていくことが市議会で決定されるなど、全国的に史跡指定の動きが加速しています。 貴職におかれましては松代地区住民自治協議会役員の皆さんと懇談の席で「後世に残さなければな らない重要な文化遺産」との見解を示されたとお聞きしています。是非ともそのようなお立場で今後お すすめ頂きたく念願いたしております。 市、県の史跡指定を受けて国指定史跡となれば、「平和のための文化遺産」としての「松代大本営跡」 に、より多くの人が訪れることになり、長野市の更なる活性化にも資するものと考えます。 また象山地下壕入り口の説明板の問題について市民からの批判が相次いでいます。 さらに、今年の地下壕安全対策工事が見学者の集中する時期に行われたため、見学断念や計画変更を 余儀なくされる例が多く見られました。 以上をふまえ、下記について要望いたします。 記 1.「松代大本営跡」を戦争遺跡として長野市の文化財指定を行って下さい。 2. 象山壕入り口説明板問題について市のお考えをお聞かせ下さい。 3. 地下壕安全対策工事の時期等は、関係者の意見を十分ふまえて実施して下さい。 4. 松代大本営跡地の文化財指定を行い、平和・歴史学習の場として保存・活用するために、引き続き 私たちとの懇談を行って下さい。
松代大本営工事に従事した労働者についての私たち見解 松代大本営の保存をすすめる会 NPO法人松代大本営平和祈念館 本年8月、松代大本営地下壕の説明板から、管理者である長野市が「強制的に」の文字にテープを 貼り付けて隠したと信濃毎日新聞が報じた。長野市は9月1日から庁内の検討会を開いて「客観的な 事実の記載に努める」とする見直し方針を確認し、市議会で市長は両論併記で決着を図る方針を示し た。 まず信濃毎日新聞の記事によってテープ貼り付けにいたる経過をたどってみる。 この看板は1990年代大本営山壕一部公開と同時に設置された。10年ほど前から複数回「朝鮮 人の労働は強制ではなかったのではないか」との趣旨の電話やメールが届くようになった。2012年 12月、見学者に配るパンフレットを増刷する際に、長野市観光振興課と市教委文化財課、長野俊英高 校郷土研究班で協議し、「強制的に」の文言を削除し、さらに2013年4月「強制的に」の入らないパ ンフレットを新規に作成した。その後、庁内からパンフレットと説明板の記述が一致しないとの指摘 があり、同年8月、説明板にテープをはって「強制的に」の文字を隠した。いずれも理由は「強制だ ったという見解と強制ではなかったという見解があり、一方の見解を市が支持することになっては良 くない」「全員が強制的な労働だったわけではなかった」だった。 信濃毎日新聞の記事をもう少し読み込んでみる。 説明板は「強制的に動員され」と書かれていた。電話やメールの趣旨を新聞は「朝鮮人の労働は強 制ではなかったのではないか」(8月8日)「朝鮮人の強制労働はなかった」(8月15日)と表現して いる。長野市誌は「強制連行されてきた朝鮮人」と表記している。 問題を錯綜させないために、「強制連行」「強制労働」「強制動員」を区別しよう。 「強制連行」は朝鮮半島から自らの意思に反して強制的に日本本土や樺太その他へ連行されたことで あり、「強制労働」は自らの意思に反して労働を強制されたことである。私たちの会ではこれまでずっ と強制連行・強制労働という文言を使ってきた。「強制動員」はその両方を含むと思われる。現在の韓 国では「強制動員」という文言が使われる。当時の朝鮮では半島内に動員され働かされた朝鮮人労働 者もたくさんいたと考えられる。 信濃毎日新聞には、40年前の1974年に発行された松代町史から「朝鮮人労務者2000人が朝鮮で 徴用され」が引用されている。徴用は1938年制定の国家総動員法にもとづいて翌年の国民徴用令で 施行された。日本国内では早くから実行されたが、朝鮮半島で実施されるのは1943年からである。 朝鮮半島での労務動員方式は、39年から募集、官斡旋、徴用と変化した。国家総動員法は朝鮮半島で も日本国内とほぼ同時に施行されたのだが、その実行はさまざまな事情から遅れたのである。した がって正確には、徴用方式の強制連行と並行して、官斡旋方式の強制連行形態が最後まで残された。 しかし現在の韓国では募集方式も含めてすべて徴用という言葉を使うようである。松代町史の記述は 1944年に関するものだから正しいと解される。 当会の見解を述べる。 そもそも1938年以後45年までの日本人は、台湾人、朝鮮人を含めてあらゆることを強制され ていた。日本人男子は20歳になると徴兵されたが、これは強制兵役である。そして徴用は強制労 役である。忌避や違反に対してはいずれも重い罰則がある。そればかりか、当時日本人は生活全般で 強制されて生きてきた。米の配給、国債の購入、防空演習参加、隣組の常会出席など。松代では 天皇御座所周辺の100戸以上の住民が強制的に立ち退かされた。戦中を活きた日本人は自らの体験に
照らして「強制」という言葉を何の違和感もなく受け入れた。当時、日本人とされていた朝鮮人に も強制があったのは当然の事と受けとった。 松代大本営工事が始まった1944年以降に朝鮮半島から直接労務動員された朝鮮人はすべて強制連 行であった。 松代には工事開始時に、西松組に連れられて岩手県からやってきた500人の熟練土木作業員がいる が、この人たちのほとんどは1938年以前に日本に渡って長く土木作業に携わってきた朝鮮人であ る。この人たちは「自主渡航」の朝鮮人労働者と呼ばれ、強制連行された人たちではない。 しかし、1939年に国民徴用令が施行され1943年に軍需会社法が施行されると、現員徴用(その職 場で既に働いている従業員を徴用することで、退職・転職などの自由がなくなる。朝鮮人は帰国も できない)が行われ、西松組、鹿島組とその傘下の会社もすべて軍需会社法を適用されたであろうか ら松代大本営派遣の労働者は自主渡航の労働者も含めて全員、強制労働に従事させられたと解される。 朝鮮人労働者が「強制的に」動員されていたことを当時の朝鮮総督府が自ら認めていたことを示す 一例を挙げる。1943年11月の東洋経済新報社主催の座談会に出席していた朝鮮総督府厚生局労務 課の官僚の発言である。 「この官斡旋の仕方が、朝鮮の職業紹介所は各道に一ヶ所ぐらいしかなく組織も陣容もきわめて 貧弱で、から一般行政機関たる府、郡、島を第一線機関として労務者の取りまとめをやっています が、この取りまとめが非常に窮屈なので仕方なく半強制的にやっています。そのため輸送途中に逃げ たり、折角山(鉱山のこと)につれていっても逃走したり、あるいは紛議を起こすなどいう事例が 非常に多くなって困ります。しかし、それといって徴用も今すぐにはできない事情にありますので、 半強制的な仕方は今後もなお強化してゆかなければなるまいと思っています。」(外村大『朝鮮人強制連 行』144pより引用) 朝鮮人労務動員が「強制」だった証言はたくさんあるが、動員に当たった総督府の役人が1943 年時点でこのように発言しているのである。1944年から始まった松代大本営工事にはさらに過酷な 「強制」動員が行われたことは想像に難くない。 韓国内でも国をあげて戦中の強制動員についての真相解明がすすめられており、2010年には「対日 抗争期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者支援委員会」が設置され、多くの実例を把握してい る。長野県強制労働調査ネットでは、長野県に動員された朝鮮人の照会を依頼して、委員会の協力の もと聞き取り調査を行ってきた。 聞き取りではいずれの人も、里(村のこと)への割り当てで「徴用」されたと言い「日本へ行けば たくさん食べられる」「いかないと殺す」などと、騙したり脅したりして連れてこられている。中には 「日本人に会うとまただまされる」と聞き取りに応じてくれない人も複数いた。 長野市が1990年から掲げてきた松代大本営地下壕の説明板の「強制的に」の部分は、朝鮮人労働 者だけのことを言っているのではなく、「住民及び朝鮮の人々が労務者として強制的に動員され」と 住民についても書かれていた。松代大本営の構築では、国外から人員などが勤労報国隊として動員さ れ、住民は土地の提供を迫られ、立ち退きを迫られ、小学生まで工事の補助に連れ出されている。 長野市が1990年に説明板に記した文章は、端的に事実を述べており、地下壕見学者への説明とし て適確な文であったと私たちは考える。 長野市は両論併記で説明板の解決を図ろうとしているが、それは行政が真実を曲げる手助けをする ことになると思える。「強制」の実態をしっかり受け止め、後世に伝えていくことが重要である。歴史 の真実と正面から向き合い、松代大本営地下壕を史跡として明確に位置づけ、平和を祈念する施設と しての活用を図るためにこそ力を注ぐべきであると考える。 以上
主務 係 係長 課長補佐 課長 教育次長 松代大本営跡史跡指定等に係る 市長要望立会いについて報告します。 日 時 平成26年9月30日(火) 14:30~15:00 場 所 副市長応接 対応者 樋口副市長 (立会)荒井商工観光部長、小池観光振興課長 藤沢教育次長 青木文化財課長 新村文化財課長補佐 要望者 NPO法人松代大本営平和祈念館 理事長 松代大本営の保存をすすめる会 会長 ほか(計10名) 要望内容 1 長野市の文化財指定を行うこと 2 説明板問題の考えを聞きたい 3 安全対策工事の時期等は関係者の意見をふまえること 4 引き続き懇談を行うこと 要望者 (要望内容説明) 副市長 1 市指定については、教育長要望時の繰り返しとなるが、とりあえず市 の指定する方向はちょっとおかしいだろうと考える。正攻法で行くべ き。教育委員会中心で働きかけを行っていくこととしたい。 2 説明板問題についてはH10発行の市誌記載を尊重しながら修正する。 観光案内でもあるから、分かり易い内容となるよう検討中。 3 (商工観光部長が説明) 4 懇談については、史跡は文化財課、管理公開は観光振興課が対応して いく。 要望者 国は、事務連絡によってこれまでの方針(報告書刊行後に指定)を変更 しているのだから、市として独自に指定を目指すべきではないか? 教育次長 市の方針は変わらない。事務連絡後、市長から文化庁へ報告書早期刊行 を申し入れ、その後、担当者レベルでも情報交換している。今後も要望を 継続したい。 要望者 教育委員会が国との折衝にあたっている点はこれまでない姿勢であり、 評価する。国に対する働きかけを続けて欲しい。 副市長 国にも市にも、それぞれの立場というものがある。時間をかけてやって いくしかない。 要望者 戦争を体験した世代では「強制」と捉えることが当たり前であったが、 最近になってその当たり前が薄れつつある。「強制」をどう扱うのが気が かり。 5~6月実施の安全対策工事では、市からの連絡が遅く、多くの中学校 の修学旅行がキャンセルされた。それに伴う苦情はすすめる会が受けた。 副市長 ご迷惑をかけたことをお詫びする。今後は連携を取りながらすすめる。 要望者 時間もなくなったので最後にお願いする。次回の懇談もよろしく願いた い。
市長要望等内容の検討結果 要望日時:平成26年9月30日(火) 午後2時30分から 場所:第二応接 要望者:NPO法人松代大本営平和祈念館 外 紹介議員: 受理者:市長・副市長・教育長 担当課:文化財課 No. 2-1 要 望 要 旨 現 況 将来の方針 全国で216件(2014年7月現在)の戦争 文化庁では、平成8年度から「近代遺跡調査」 本市では「松代大本営地下壕」の史跡指定に向けては、国による 遺跡が指定または登録されている。 を継続しており、「軍事に関する遺跡」 評価と位置付けが不可欠であるとの立場をとってきた。 については、「松代大本営地下壕」 これは、地下壕の建設が、戦時下に推し進められた国家プロジェ 文化庁は51件の戦争遺跡の詳細調査を実 を含めた戦争遺跡の詳細調査の対象となり、専 クトであることから、史跡指定に関しては、まずは主主体である国が責 施し、松代大本営の調査も2003年に行わ 門家による調査が実施されている。 任をもって、その評価と位置付けを明らかにすべきであると考えたところ れたが、調査報告書の発行が大幅に遅れてい による。 る。 文化庁では、この詳細調査の成果に基づ したがって、本市の対応としては、文化庁により実施された「近代遺跡 そのため文化庁は平成25年1月25日 き、国として保護すべき遺跡の保存対策等を 詳細調査」の結果報告を待って、国史跡指定等、保存活用に向けて取り組 付けで、各都道府県教育委員会に「近代遺跡の 検討し、報告書を刊行するとの計画にある。 むことを方針としてきたものであり、従来どおり、報告書の刊行を待つ姿 保護に関する取組みについて(周知)」を、史跡 本市では、文化庁による詳細調査の結果報告 勢に変わりはない。 知、八王子市「浅川地下壕」など、史跡指定の を国へ待って、国史跡指定等、保存活用に向け 動きが加速している。 て取り組むことを方針としてきた。 また、「松代大本営予定地地下壕」は、まさしく日本史の中で評価され るべき規模の遺跡であり、長野市という、一地方史のなかに納まるレベル 市、県の史跡指定を受けて国指定史跡とな 文化庁からは平成25年1月25日付けの の遺跡ではない。 れば、より多くの人が訪れることになり、市 事務連絡で「詳細調査報告書の刊行は必ずしも 国史跡指定に係る詳細調査等の検討と評価に時間がかかっているといって、 の活性化にも資する。 も史跡指定の前提ではない」旨が示された。 「とりあえず市のみの史跡にしておこう」という選択は妥当ではないと考え これは「西向戦争遺跡」の状況を受けての史跡指定 る。 手続きが既に進んでいる状況を例にあげ、 国による評価が定まるまでの間、現在の管理体制を継続しながら、でき 以上をふまえ、次のとおり要望する。 「報告書が出ないから戦争遺跡に関する史 るだけ現状を改変せずに、維持保存に努めていくこととしたい。 1 「松代大本営跡」を戦争遺跡として長野 跡指定が進まない」という批判は当たらない 市の文化財指定を行って下さい。 ことを説明しようとしたものである。 文化庁に対しては、昨年度、あらためて報告書の早期刊行を要望し、担 2 象山壕入り口説明板問題について市の
要 望 要 旨 現 況 将来の方針 3 地下壕安全対策工事の時期等は、関係者 この事務連絡を踏まえつつ、平成25年6 当調査官にも状況を問い合わせたところである。報告書刊行の見通しは の意見を十分ふまえて実施して下さい。 月に文化庁に対して、本市の実情と方針を説 立っていないとのことであった。今後も、状況を確認しながら、機会を捉 4 松代大本営跡地の文化財指定を行い、平 明したうえで、詳細調査報告書の早期刊行を えて要望を重ねることとしたい。 和・歴史学習の場として保存・活用するた あらためて要望したところである。 めに、引き続き私たちとの懇談を行って下 (懇談については、申出に応じて随時行いたい。) さい。 なお、文化庁の事務連絡を受けて「史跡指 定の動きが加速」したとされる八王子市「浅 川地下壕」については、緑地保全に係る条例 に基づいて公有化が目指されたものであり、 八王子市議会における決議は、戦争遺跡の史 跡指定と直接係りを有する内容ではない。 No. 2-2