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July 25, 25
スライド概要
第19回パーキンソン病・運動障害疾患コングレスにて,「シャルコー生誕200年記念シンポジウムに参加して」と題した講演で使用したスライドです.
岐阜大学大学院医学系研究科脳神経内科学分野 教授
シャルコー生誕200年記念 シンポジウムに参加して 下畑 享良 岐阜大学大学院医学系研究科脳神経内科学分野
日本パーキンソン病・運動障害疾患学会 COI 開示 筆頭発表者:下畑 享良 岐阜大学大学院医学系研究科脳神経内科学分野・教授 本発表に関連し,明示すべきCOI関係にある企業などはありません.
はじめに • 神経症候に出てくる人名(エポニム)の多さは 医学生が脳神経内科に苦手意識をもつ原因と なることを知った. • このため,神経学を築いた偉人や歴史を意識 して講義で教えることを心がけてきた. • 自身が一生をかけて取り組む神経学の歴史を 学ぶことは大切であり,愉しみにもなる. 1969 1977
学生の受けが良かったお墓参りシリーズ ロンベルグ先生のお墓参り(2016.6) 名古屋大学高橋昭名誉教授のご論文である「ベルリンの医学史跡瞥見(現代医学 1994;42;371-380)」を地図の代わりにして,饗場郁子先生(東名古屋病院)とともに Moritz Heinrich Romberg(1795 –1873)先生のお墓参りをした.
シャルコー先生のお墓参り(2019.9) スタンダールやドガ, ベルリオーズなど著 名人も眠るモンマルト ル墓地を訪れた. シャルコー家の墓地 は祠型で,お参りをし てから中に入ると 先生の名前を見つけ ることができた.
シャルコー先生を訪ねて(2019.9) サルペトリエールでの臨床講義 (Une leçon clinique à la Salpêtrière, Brouillet 1887) パリ第5大学(パリ・デカルト大学) 医学史博物館
シャルコー研究の碩学, Olivier Walusinski 先生に知遇を得た(2019.9) "A long life to our friendship.“ (私たちの友情が長く続きますように)
Olivier Walusinski 先生との交流 演者所有
パンデミック禍において シャルコー先生を改めて意識する(2021~) • パンデミック禍において,機能性神経障害の診療を 多数経験するようになった. • シャルコーが普仏戦争後(1870-1871)に増加した ヒステリー患者にどのように向き合ったのかを知り たいと思った. Jean-Martin Charcot(1825-1893)
シャルコー学派は機能性神経障害の神経症候を見出した 筒状の視野狭窄(tubular visual field) 身体の正中での痛覚障害(midline-splitting of sensory loss) 1880年代にCharcotが最初に記載した. Babinskiが初めて臨床徴候として記載した.
シャルコー学派は機能性神経障害の神経症候を見出した Leg-dragging gait “blépharospasme hystérique” (Touretteが1888年に記載) (Charcotが1887年に記載,写真はTouretteの症例 )
シャルコー学派は機能性神経障害の神経症候を見出した 催眠療法により改善 Leg-dragging gait (Touretteが1888年に記載) 卓越した観察力に驚嘆した!
シャルコー先生は興味ある神経疾患に取り組み, 最後にヒステリーに出会った 1861 振戦麻痺(paralysie agitante) 1861~1883 脊髄の系統的構造の整理 1862 進行性歩行失調症/脊髄癆(tabes dorsalis) 1868 脊髄癆性関節症(Charcot関節症) 1868 多発性硬化症 1868 筋萎縮性側索硬化症 1875~1893 脳の局在論 1882~1885 失語症研究 1885 チックおよびジル・ド・ラ・トゥレット症候群,舞踏病,アテトーゼ,失立失歩 1886 特異な進行性筋萎縮症の一型(CMT病) 1870年~1893 ヒステリーおよびてんかんの研究
一方,シャルコーと三浦勤之助の師弟関係を知り, 教育者としてのシャルコーについて知りたいと思った. • 三浦謹之助は内科学者であり,特に神経学の 分野で大きな功績を残した. • 1890年からドイツやフランスに留学し,パリでは シャルコーに師事した. • 当時,シャルコー67歳,謹之助28歳. 弟子として 学んだ期間は8ヶ月に満たなかったものの, 謹之助はシャルコーを生涯の師として仰いだ. 三浦勤之助(1864-1950) 安芸基雄.臨床神経33:1259-64, 1993
そんな時,シャルコー生誕200年記念式典の案内をいただく 第29回国際神経科学史学会(ISHN) Local Organization Committee Olivier Walusinski, president Yves Agid Laura Bossi Emmanuel Broussolle Martin Catala Hubert Déchy Gilles Fénelon Christopher Goetz Jacques Poirier Under the High Patronage of Mr Emmanuel MACRON President of the French Republic • 2人の師弟関係や,日本はフランスの神経学に 大きな影響を受けたことを学び,これらを本場 フランスで発表したい!と思った. • 岩田誠先生にご指導をいただき応募し, 演題が口演にアクセプトされた.
ちなみにシャルコー生誕100年記念式典は・・・ 1925年5月25日〜28日,パリ 第6回国際神経学会と時を同じくして開催され, その全演題をシャルコーの業績に捧げた. 名誉会長:ピエール・マリー,アルベール・ピトル, ポール・リシェ 会長:ジョゼフ・バビンスキー
講演から 学んだこと 1.現代神経学への貢献 2.芸術家としてのシャルコー 3.教育者としてのシャルコー シャルコー ツアー 私の発表
シャルコー生誕200年記念式典の開幕 2025年7月1日-5日 Paris Brain Institute Hôpital de La Salpêtrière, Paris 講演会,歴史ツアー
会場となったICM Institute for Brain and Spinal Cordと 大会長Walusinski 先生との再会
講演7つのセッションの内容 セッション 1 シャルコーの業績,疾患への貢献(運動異常症,脳卒中) 2 疾患への貢献(ALS,多発性硬化症など) 3 ゆかりの人物(ビュルピアン,リシェなど) 4 身体症状と心的要因,ヒステリー 5 芸術と医学の接点 6 外国への影響 7 映画に描かれたシャルコー
世界各国からの口演 口演数 13 フランス 5 米国,イタリア 3 オランダ 2 オーストラリア,リトアニア,ブラジル 1 ポルトガル,ドイツ,英国,スイス,エストニア,日本
1.現代神経学への貢献
シャルコーの現代神経学への3つの貢献 ①「観察」と「記述」の徹底 検査,画像診断のない時代に,患者を克明に観察し,それらを詳細に記述することで 神経疾患の分類と定義を行った.→「観察」の重要性 ② 新技術を神経学に導入した革新性 病理学・写真術・歩行分析などの新しい技術を神経学に導入した.→ バイオマーカーなど ③ 脳と心の接点を恐れず探究した勇気 ヒステリー研究に積極的であり,精神と神経の接点を重視した. → 機能性神経障害
シャルコーの言葉 ① 「観察」の重要性 ある医師が生理学や解剖学に強いとか, 非常に頭が良いとか言ったとしても, それは本当の賛辞とは言えません. しかし,「鋭い目を持ち,物事を見る術を 知っている人がいる」と言うなら,それは おそらく最大の賛辞と言えるでしょう. (1888年)
② 新技術を神経学に導入した革新性 医学の実践には自律性などなく,他所から の借用,応用によって成り立っていると私は 考える.新しいアイデアの継続的な注入と 刷新がなければ,医学はすぐに時代遅れの ルーチンと化してしまうだろう.(1887)
③ 脳と心の接点を恐れず探究した勇気 (男性ヒステリーを見出した先入観にとらわれない姿勢) 「実のところ,言葉―とくに医学的病名における 言葉―は,象徴としての意味しか持たない. 記述的定義としての価値を持つと主張すること はできない.君たちは,こう考える習慣を身につ けなさい……すなわち,“ヒステリー”という言葉 自体には何の意味もないということだ.そうすれ ば,次第に,“ヒステリー”という言葉を男性につ いて語ることに,子宮(hysterā:ギ)を少しも思い 浮かべずに済むようになるだろう.」
2.芸術家としてのシャルコー Dr. Natasha Ruiz-Gómez Dr. Grégoire Hallé
退屈な会議や学生試験の場では, 同僚や風刺画を描いていた ラテン区の放浪学生の姿 老教授ミシェル・シュヴルールの肖像 親友ピエレの誇張された顔 Eur Neurol 2021;84:49–52 普仏戦争―巨大なプロイセン兵と小さなフランス兵 普仏戦争に対する憤りを表現した作品.巨大で無抵抗な プロイセン兵の上に立つ小さなフランス兵という皮肉な 対比が描かれている.
自身をオウムに見立てて描いた 自嘲的でユーモラスな自画像 シャルコーは極めて威厳ある人物として 記憶されがちだが,実際には自らを風刺的 に捉える柔軟さを持っていた. 彼のライバルがしばしば強調した「ナポレ オン的」なシャルコー像とは対照的である. J Hist Neurosci. 2025 Apr-Jun;34(2):310-321.
ヒステリーの歴史的描写に ポール・リシェらの作品を多用した • サルペトリエール病院で神経学と解剖学を教えた. 美術と医学の架け橋としても活動し,美術学校でも 人体解剖を教えた. • 師シャルコーとともに「科学と芸術は同じ現象の 異なる表現である」と語った. Paul Richer(1849–1933)
ポール・リシェによる 医学と美術を融合する彫刻 A) Myopathy B) Labio-Glosso-Laryngeal Paralysis C) Parkinson disease
ポール・リシェの描いたヒステリー発作 体幹を弓なりに反らせる 「l’arc de cercle」姿勢 医学と美術の融合の 体現
シャルコー先生は「火曜講義」では図版や写真を駆使しながら 患者の症状を演出的に提示した Wittman André Brouillet (1857–1914).
シャルコー先生は「火曜講義」では図版や写真を駆使しながら 患者の症状を演出的に提示した 「l’arc de cercle」姿勢 Wittman André Brouillet (1857–1914).
3.教育者としてのシャルコー Dr. Emmanuel Broussolle Dr. Olivier Walusinski
シャルコー先生の教えを受けた 代表的な門下生(1862年〜1893年) 1863年 ヴィクトル・コルニル(Victor Cornil)1837–1908 1865年 ジュール・コタール(Jules Cotard)1840–1889 1868年 デジレ=マグロワール・ブールヌヴィル(Désiré-Magloire Bourneville)1840–1909 1869年 アリックス・ジョフロワ(Alix Joffroy)1844–1908 1872年 アルベール・ゴンボー(Albert Gombault)1844–1904 1873年 ジョルジュ・ドボーヴ(Georges Debove)1845–1920 1875年 フルジャンス・レイモン(Fulgence Raymond)1844–1910 1878年 ポール・リシェ(Paul Richer)1849–1933 1880年 ジルベール・バレ(Gilbert Ballet)1853–1916(臨床主任 1882年) 1881年 シャルル・フェレ(Charles Féré)1852–1907 1882年 ピエール・マリ(Pierre Marie)1853–1940(臨床主任 1883–1884年) 1883年 ジョセフ・バビンスキー(Joseph Babinski) 1857–1932(臨床主任 1885–1887年) 1884年 ジョルジュ・ジル・ド・ラ・トゥレット(Gilles de la Tourette)1857–1904(臨床主任 1887–1888年) 1885年 ジョルジュ・ギノン(Georges Guinon)1859–1932(臨床主任 1889–1890年) 1886年 ポール・ベルベズ(Paul Berbez)1859–1928 1889年 アドルフ・デュティル(Adolphe Dutil)1862–194?(臨床主任 1891–1892年) 1891年 ジャン=バティスト・シャルコー(Jean-Baptiste Charcot)1867–1936(シャルコーの息子) 1892年 三浦謹之助 1864–1950 1893年 ポール・ロンド(Paul Londe)1864–1944
臨床主任をつとめた主な弟子 Pierre Marie 1883–1884 Joseph Babinski 1885–1887 Gilles de la Tourette 1887–1888 Georges Guinon 1889–1890 Adolphe Dutil 1891–1892
世界中に教え子を持ち,影響力を世界に広げた 英国 Charles-Edouard Brown-Sequard (仏→英→米に貢献):Brown-Sequard症候群の命名者 John Hughlings Jackson 英国神経学の父,てんかんの焦点起始説(ジャクソンてんかん) William Richard Gowers 近代臨床神経学の体系化者 Victor Horsley 世界初の脳外科医の一人,てんかん手術の先駆者 David Ferrier Grainger Stewart William Turner Henry Charlton Bastian Charles-Edouard Brown-Sequard John Hughlings Jackson William Richard Gowers
米国 William Hammond 初のアメリカ神経学教科書,米国神経病学会設立者 Edward Constant Seguin 失語・局在論研究,米仏神経学の橋渡し Silas Weir Mitchell 幻肢痛・CRPS/RSD・ヒステリーの研究,"rest cure"の提唱 Bernard Sachs Moses Allen Starr William Hammond Silas Weir Mitchell
ドイツ・オーストリア Wilhelm Heinrich Erb 臨床神経学の父,「Erb麻痺」など多くの所見を記載 Ernst von Leyden Charcot-Leyden結晶の共同発見者,神経腫瘍学の先駆者 Sigmund Freud 精神分析の創始者,シャルコーのヒステリー研究に触発される Ludwig Hirt Ernst Adolf Gustav Gottfried von Strumpell Max Nonne Leopold Ordenstein Carl-Louis Thieme Moritz Benedikt Wilhelm Heinrich Erb Sigmund Freud@パリ
ロシア Aleksej Yakovlevich Kozhevnikov Vladimir Karlovich Roth Sergey Sergeevich Korsakov Vladimir Bekhterev Lazar Solomonovich Minor I. P. Merzheevskii Livery Osipovich Darkshevich Vladimir Chizh Alexander Efimovich Sheherbak コジェヴニコフてんかん,ロシア神経学の基礎を築く コルサコフ症候群の記載者,神経精神医学に大きな貢献 ベヒテレフ病(強直性脊椎炎),反射理論の構築 Sergey Sergeevich Korsakov Vladimir Bekhterev
その他 ベルギー・オランダ Auguste Forel(後にスイスに拠点) ベルギー・オランダ Willem Krom ベルギー・オランダ Cornelis Winkler スカンジナビア・フィンランド Axel Munthe(スウェーデン) スカンジナビア・フィンランド Robert Tigerstedt(フィンランド) ポーランド Edward Flatau ハンガリー・ルーマニア Georges Marinesco(ルーマニア) ハンガリー・ルーマニア Miksa Farkas(ハンガリー) Georges Marinesco
パリ大学医学部にて608論文の学位審査に関わる シャルコーは,自身の研究成果を広める手段として博士論文を活用し,特にヒステリー, 筋萎縮性側索硬化症,進行性麻痺・脊髄癆,多発性硬化症,神経病理などに関する 議論を展開した. J Hist Neurosci. 2025 Apr-Jun;34(2):185-205.
当時,珍しい女性医学博士志願者6名を指導し, 発表を支持する一方,性差別的発言もしている 「あなたの論文は素晴らしい.女医はいつでも非常に 優秀で,試験にも大成功を収める.・・・ しかし,女性たちは人類よりも自分自身のことを考える. 彼女たちはトップに立ちたい,高い地位や収入のある 職に就きたいと願う.だが,包帯を準備するような繊細 で集中力が必要とされる看護的な仕事は避けがちで ある.これこそ女性に向いた仕事なのに.野心が強す ぎる.」 Caroline Schultze (1867–1926) J Hist Neurosci. 2025 Apr-Jun;34(2):185-205.
医師・教育者としての姿勢を語る もちろん,部屋を出て行ったばかりの可哀 想な患者さんの前で,予後について話す ことはしませんでした.予後は悲惨です. 悲しいことですが,医師にとって,それが 悲しいかどうかは問題ではなく,真実こそが 問題なのです.患者さんには,最後まで 幻想の中で生きさせてあげてください. それは良いことであり,人道的なことです.
医師・教育者としての姿勢を語る しかし医者はどうだろう?彼の役割とは何か? 確かに我々の務めは別にある.それでも探し 続けよう,すべてに逆らってでも,常に探求し 続けよう.それこそが見出す最良の方法なの だから.そして,もしかすると今日の我々の 努力によって,明日の判決は今日のそれとは 異なるものになるかもしれないのだ.(1888)
講演から 学んだこと シャルコー ツアー 私の発表
1. Charcot library @ICM Institute for Brain and Spinal Cord
Paralysie agitante (1851-1852)
局所電気刺激 初版 (1855) 『De l’électrisation localisée et de son application à la physiologie, à la pathologie et à la thérapeutique』 Duchenne de Boulogne (1806-1875) シャルコーの 神経学の父
Lessons of localization in brain diseases (1876)
Tuesday lessons 初版 (1887-1888)
Statuette de femme atteinte de la maladie de Parkinson (La Parkinsonienne) (Paul Richer, 1895)
2. シャルコーゆかりの場所をめぐるツアー 新旧の建物が融合した病院内の景観 精神疾患患者の独房 (オフィスとして使用中) シャルコーがレジデントとして 勤務した場所
名物看護師長が住んでいた場所 Marguerite Bottard (1822-1906) Walusinski O. Eur Neurol. 2011;65:279-85.
火曜講義が行われた場所
ラ・サルペトリエール病院 礼拝堂 1656年,ルイ14世は建築家リベラル・ブリュアンに命じて, 硝石製造所(火薬工場)のあった場所に病院を建てさせた.
礼拝堂の内部
礼拝堂の壁面
歴史ツアー シャルコーの生家
パリ第5大学 2人の病理学教授 Alfred Vulpian (1826–1887) Victor Cornil (1837–1908)
医学図書館/医学史博物館
医学史博物館の展示物 ポール・リシェによるヒステリー発作のスケッチ 重度のヒステリー発作の4段階 てんかん期,大運動期,激情期,せん妄期 激情期;(l’arc de cercle) 腕が上に持ち上がり,顔は上を向く. 表情に陶酔感や恍惚感がある.
電気音叉 Diapason électrique シャルコー先生は,電気音叉による 機械的振動を用いて特定の神経疾 患を治療する新しい方法について 講演を行った.
Duchenne による 二重電流式ボルタ=ファラデー装置 Duchenne de Boulogne(1806–1875)
講演から 学んだこと シャルコー ツアー 第66回日本神経学会学術大会特別シンポジウムオンデマンド 「シャルコーと三浦謹之助の師弟関係」をご覧ください 私の発表
謹之助とシャルコーの関係を資料から収集する 一医学者の生活をめぐる回想 三浦紀彦(長男:三菱銀行) 福武敏夫先生所蔵.昭和30年 三浦義彰(次男:千葉大学名誉教授) 三浦恭定(孫:紀彦の子) 自治医科大学名誉教授
謹之助からみたシャルコーの人柄 三浦義彰.千葉医学76:265-271, 2000 「本当に偉い人というのは態度や物言いが やさしくて,誰にでも親切なものだ.シャル コーもパストゥールもドイツの教授たちの ように辺幅を飾らないよ.そして言うことが 順序だっていて,無駄なことを言わないね」 Jean-Martin Charcot (1825-1893) Louis Pasteur (1822-1895)
謹之助によるシャルコーの仕事 三浦紀彦編:一医学者の生活をめぐる回想:名誉教授 三浦謹之助の生涯.医歯薬出版, 1955.7 • 「臨床家で偉いという人には,西洋ではよく観察して,そうして経験を積む人と,もう 一つはたくさん仕事をする人(=論文を書く人)と両方あるのです.シャルコー先生などは その両方を兼ねているわけです.本当はそうやらなくちゃいけないと思います」 • 「エルプという人は普通の臨床講義をやるだけで,回診のほうはゲルハルト先生より 別段そう大して詳しい方じゃない.シャルコーですよ,1番患者を詳しく診た人は」
火曜講義の準備のしかた 「患者を講堂に連れてきて聴衆に見せるまでに毎日自分の 部屋に呼んで弟子と共に之を研究して,少なくも二週間は 診たものであります.私は幸いにしてこの時に部屋で立会う ことのお許しを得まして,始終一緒に診ました.そういう風に して宅に帰ってからは文献を調べて,そうしてまた明日来て 患者に就て調べられると言う風にして,それから初めて講堂 で講義をされたのですから,その言われることは自然に文章 を成していました」
帰国後,謹之助はシャルコーに2通の手紙を送った 謹之助がシャルコーにあてた 留学期間を通じてのご厚情を 謝すというシャルコー宛ての 手紙 三浦謹之助.神経内科62:1-4, 2005
2通目の手紙には極めて重要な内容が書かれていた 岩田誠.科学医学資料研究251:8-12, 1995 • 1893年の年始の挨拶状であった. • 現在は内科一般の診療をしているが,将来は神経疾患に焦点を絞って診療したい と述べ,「私は医学部に対し,医学部附属病院に付属する,神経疾患のための 部門の新設を進言するつもりです」と書かれている. • 同年(1893年),シャルコー逝去. • 1894年,帝国議会に神経学講座設置の提案がなされたが,否決された.
もしも・・・ 岩田誠.科学医学資料研究251:8-12, 1995 岩田 誠先生 「戦後米国から入ってきた神経内科学が,わが国において独立した部門となるのは 1964年で,それより70年も前,すでに三浦謹之助は神経内科学が診療科として独立 すべきこと,そして独立した大学の講座であるべきことを提言しており,しかもその モデルは師シャルコーが築き上げたフランスの神経内科学であった.もしこれが実現 していたなら,わが国の神経内科学の歩みは今とはずいぶんと異なったものになっ ていたであろう」
講演の反響はとても大きかった! 講演後,多くの先生が集まって 来られて,Congratulations!と 言ってくださり大変驚いた. 経験のないことで感激した. 謹之助先生とシャルコー先生の 師弟関係に心を動かされた先生 が多かったのかもしれない.
おわりに • シャルコーが優れた多くの弟子を育てられたのは,臨床家,教育者,芸術家として優れ, かつ人間的魅力を持ち合わせていたためと考えられた. • シャルコーが築き上げたフランスの神経学は,三浦謹之助を介して現代日本の神経学に その精神とともに伝授されたことを認識する必要がある. • 1925年(大正14年)はシャルコーの誕生百周年に当たり,その際,謹之助はパリに 電報を打ち,花瓶を送って先生の像の前に供えた.今年11月29日に二百周年を迎える. 日本でもシャルコーと謹之助の偉業を振り返る機会にしたい.
謝辞 ご指導,ご助言をくださった,岩田誠先生,河村満先生,福武敏夫先生に 御礼申し上げます.