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January 06, 24
スライド概要
架空の美術展の図録
Memento Mori 死を想え
会場マップ 「Pharmacy」 「For the Love of God」 「ZİYARET VISIT」 ・「How Different People Live In IdenCcal Apartments」 ・「soul devicereclaim」 ・「 ・「Mémoires」 ・「the perfect place to grow 2001」 B3「⼼臓⾳のアーカイブ」 「Mega Death」 、「Heaven and Earth」 「The Physical Impossibility of Death in the Mind of Someone Living Introduction: 「The Dance of Death」、「TRANSI」、 「The Triumph of Death」 ⼊⼝ /出⼝ 「Arrive」&「Depart」 地中美術館
ご挨拶 「死」。それは、この世でただ一つ、生を受けた者であれ ば、誰しもに平等に訪れる事象である。 「死」を前にすれば金持ちも貧乏人も、善人も悪人も、皆、 等しく無力であり、逃れることのできない宿命として受け 入れるしかない。しかし、我々が「死」をどのように受け 入れるか、即ち、どのように「死を想う」かで、「死」と いう皆に等しい事象が、一人一人の個人にとってどのよう な意味付け、価値を成すのかという差異を生じさせること はできる。 本展覧会のタイトル「Memento Mori」。このフレーズは、 古代「明日死ぬやも知れないのだから、今を楽しめ」とい う意味で使われていたものが、その後に、現世の楽しみ・ 贅沢・手柄は空虚で虚しいものだとするキリスト教によっ て、来世への救済としての死を想起させる言葉になった。 このような意味転換の過程を辿ってきた「 Memento Mori 」は、まさに「死に対する想い方」は時代や個人に よって変容することを象徴づけるとともに、死生観の多様 さを許容するフレーズであると言えるだろう。本展覧会で は、来場者に対して「どのように死を想うか」という問い を投げかけ、自分なりの答えを出す契機にしてもらうこと を意図し、 タイトルに「 Memento Mori」を起用した。 なお、展示内容は、主催者側が一つの正解を唯一無二のものと して提示するのではなく、あくまでも来場者自身が己にとって の答えを見つけられるよう、死に関するイメージとその思想が 偏ったものになることにつながるようなものや、万人にとって 共通の明確な解釈をもたらす作品、宗教的なものはなるべく避 けた構成になっている。 また、本展覧会の会場を「地中美術館」に設定したのは、誰も が一度は耳にしたことがあるであろう『古事記』のイザナキ・ イザナミのエピソードに登場する死者の世界「黄泉の国」が、 地下であるという解釈がなされていることに因んでいる。 この死後の世界に見立てられた会場での一連の展示が、皆さん にとって「どのように『自身』の死を想うのか」という、絶対 的な正解のない問いに対して、少しでも自分なりの答えを見つ けるための糸口となることを願う。
到着 Chris&an Boltanski |2015
Introduction
The Dance of Death Hans Holbein|1524〜 「メメントモリ(死を想え)」と関連付けて語られることの多いモチーフ、『死の舞踏』は死の恐怖を前に人々が半狂乱に なって踊り続けるという14世紀のフランス詩が(14世紀のスペイン系ユダヤ人の説もある)起源とされており、一連の絵 画、壁画、版画の共通のテーマとして死の普遍性があげられる。この、「貴族、農民などの生前に属していた階級の差も死 の前では無力であり、全てが無に帰る」とする死生観は、黒死病がヨーロッパ中で流行した14世紀に主流となったものだ が、現在、世界規模で数年にわたってコロナに侵され続けている我々の境遇と通づるものがあるため、まさに「死」につい て考えることをテーマにした本展覧会にとって、最もふさわしい出発点と言えよう。
The Triumph of Death 黒死病の流行により「メメントモリ(死を想 え)」の警句が発されるようになった14世紀中 頃、キリスト教美術において「死の舞踏」と並ん で主流となった様式である「死の勝利」の代表作 品。 黒死病のパンデミックによって死にゆく人々の 様子を描いた本作はまさに、コロナに見舞われる 我々にとって最も近い「死」の姿を描いた作品と いえ、遠い時代を超えて尚、疫病による「死」の 猛威からは逃れられず、死は万人に必ず訪れると いう事実を改めて突きつけられる作品である。 Pieter Bruegel | 1562年頃
Transi 死には「腐敗」が付き物である。 「transi」とはラテン語の動詞transireに由来する 言葉である。12世紀から16世紀を通じてtransirと いうフランス語は「死にゆく」または「通り過ぎ る」の意で用いられ、transiまたはtransizは死者 について用いる名詞であった。図のような 「transi」と呼ばれる墓像は「腐敗」を はじめ とした死後の肉体の経過を題材にしたものであ る。これらの不気味な像は14世紀後期から16世紀 までという極めて限定的な期間にのみ作成され、 人体美を重んじるルネサンスの風潮の台頭と共に 消滅してしまった。 我々はつい「死」を抽象的な観念として捉えがち であり、時として美化さえするが、この「腐敗」 という「死」の肉体的、物理的な一面をモチーフ にした作品から、「死」の重みについて一度思い を馳せて見て欲しい。 Ligier Richier |1547
Exhibition
For the Love of God 現代アート史上最も高価な作品の一つとさ れる「神の愛のために」は2007年にダミア ン・ハーストによって制作された彫刻作品。 18世紀の人間の頭蓋骨をかたどったプラチ ナに8601個の純ダイヤモンドが敷き詰めら れている。額には「スカル・スター・ダイ ヤモンド」と言うピンクのダイヤモンドが はめ込まれており、本作においてダイヤモ ンドは「生命の存在」、髑髏は「死」を表 している。本作のテーマは本展覧会のタイ トルでもある「メメントモリ」。ハースト はこの作品を制作する際、自身に対して “お前が死に対して払える最高額はいくら か”と問い続けながら、製作したと述べて いる。 我々は死にどれほどの価値と重みを抱いて いるのか、一度、自身の胸に問いかけてみ る必要があるのではないだろうか。 Damien Hirst | 2007
ZI"YARET VISIT 100の墓石を3Dプリンタを用いて、 1/20のモデルで出力し、棒の先端に 付けて展示した作品。また、墓石の 周囲には、それぞれの墓石の図と写 真も併せて展示されている。 墓石の寸法まで入った図面や、墓石 の元となった写真などが合わせて展 示されていることで、単純なインス タレーションとはまた一味違った作 品となっている。 我々日本人は、墓石に対して画一的 な様式のイメージを抱きがちである が、本作品からわかるように世界に は様々な形の墓石があり、そのこと は全く同じ「生」が存在しないよう に「死」の在り方は人によって異な るのだということを考えさせられ る。 SO? Mimarlik ve fikriyat |architecture and ideas
Pharmacy 展示室を丸ごと使ったインスタレーション 《Pharmacy》では、医療用キャビネットが ずらりと並び、ガラス扉の向こうに薬の パッケージが陳列されている。カウンター には、地、風、火、水を象徴する4つのボト ルが置かれ、古代(または非西洋)医学を 表現している。蜂の巣の入ったボウルが乗 せられた4つのスツールの上に吊り下がって いるのは、光を放つ殺虫灯だ。 「死」について語る上では、対抗手段である 「治療」が切っても切り離せないテーマだ。 美術館やギャラリーに薬局を再現することで、 信念の体系としての医学に疑問を呈し、「治 療」という概念がいかに誘惑的であるかとい う問題意識を提示する意図で制作したとされ る本作。これは今も終息の兆しを見せないコ ロナウイルスに対して「治療」という対抗手 段を見つけるべく躍起になっている我々に とっていささかアイロニカルな作品であると 言えるかも知れない。 我々人類の「死」に抗おうとする欲望を象徴 するかのような作品である。 Damien Hirst |1992
Mémoires 「メモワール」シリーズは、1985年に 起きた古屋の妻クリスティーネの突然 の自死をきっかけに始まった。二人の 出会い、結婚、出産、一人息子を育て ながら病に苦しんだクリスティーネと、 彼女とともに過ごした古屋のプライ ベートな時間が、中欧の激動の時代の 記録とともに写し出されている。 本作は、生者が亡き人になるまでの過 程を日常を切り取った写真で描くこと で、生と死の絶つことのできない連続 性をありありと突きつけると共に、残 されたものが近しい人の死をどのよう に受け入れればいいのかという答えの 出ない問いを我々に投げかけてくる。 「求めているのは説明であって、 はっきりとした答えではない。」 ⼩林紀晴『メモワール写真家・古⾕誠⼀との⼆⼗年』(集英社、 2012)より抜粋 古⾕⽒の⾔葉 古屋誠⼀ | 1989〜
soul reclaim device Covid-19が蔓延して以降、世界中か ら野村氏が集めた故人の写真を、紙 を使わずに水面にプリントした作品。 本作について野村氏は、例えばキリ スト教圏の「洗礼」、日本での「精 霊船行列」の儀式にみられるように、 作品の持つ「生と水の関係」を通じ て、国境を越えて共通する死生観の ようなものを見出すことができるの ではないかと考えた,と述べている。 印刷された写真は時間とともに水中 で消滅し、1時間経過すると、モニ ターに次の肖像画の名前が表示され る。すると、また新しい写真がプリ ントされるのだ。故人の面影が永遠 には残り続けないことが、「死の儚 さ」を感じさせる作品。 野村在 | 2018
the perfect place to grow 2001 この作品は、作家のトルコ系キプロス人の父 親へのオマージュであり、木製の高床式鳥小 屋のような構造になっている。観客は作品に 取り付けられた木製の脚立を上って小さな覗 き穴から明るい炎天下、草木の間を行ったり 来たりするEminの父親と少女時代のEminの 姿を写した8mmフィルムのビデオループを 覗くことができる。 本作は構造的にはデュシャンの作品《Etant Donnés: 1º la chute dʻeau / 2º le gaz dʼéclairage (1944-66, Philadelphia Museum of Art)》を想起させるが、その違いは前者が 不吉な死を連想させるのに対し、Eminのこの 作品は生命を肯定するポジティブなものであ るという点である。 死との直接的な関わりを感じさせない点で他 の作品とは毛色が異なるが、生を見つめるこ とと死を見つめることは地続きであるため、 本作品も展示内容として加えた。 Tracy Emin | 2001
How Different People Live In Identical Apartments BuzzFeedで初めて紹介されたこのプロジェクトでは、 Girboven氏が所有するビルの10階建ての同じアパートメン トが10室紹介されており、それぞれが独自の家具、装飾、美 学を備えている。 本作品も「the perfect place to grow 2001」と同様、死を テーマにした作品ではないが、同じ建物、同じ構造の部屋を 撮影しながらも、そこで生きる人々の人生は決して同じもの ではないということがありありと映し出されている。 我々が皆、死ぬ前に等しく通過する過程である「それぞれの 人生を生きる」ということについて自身に問いかけ、自身の 生と他者の生に、今一度思いを巡らせてみて欲しいという願 いを込め、本展覧会に選定した。 Huang Qingjun qui
Heaven and Earth 本作は柱に設置された2台のモニターによるインスタ レーション。 2つの画面は、「生後9ヶ月の乳児(ビル・ヴィオラの 第2子)と、病院のベッドで呼吸補助を受けながら瀕 死の状態の作家の母親を並行して映し出しており、生 と死が地続きであることが強く印象付けられる作品。 本作について作者は、「生と死はとても似たプロセス であり、どちらも、ある世界から次の世界への往来を 構成している。息子の誕生は、目に見えない世界から 物質界への旅立ちであり、母の死は物質界である地上 界から霊界への旅立ちであった。誕生と死は、私たち 誰もが経験する、永遠に続く旅のステージなのだ。」 と述べている。 Bill Viola | 1992
The Physical Impossibility of Death in the Mind of Someone Living 「生者の心における死の物理的な不 可能さ」は、1991年にダミアン・ ハーストによって制作されたコンセ プチュアル・アート作品。ハースト のYBA(ヤング・ブリティッシュ・ アーティスト)時代の代表作である。 1990年代のイギリス美術のイコン的 作品であり、YBAのシンボル的な作 品としても評価されている。 鉄とガラスで覆われた巨大な箱に、 全長4.3メートルの実物のイタチザメ がホルマリン漬けにされている本作 は、リアルで生々しい「死」の姿を 感じさせる。 Damien Hirst | 1991
1999年の第48回ヴェネチア・ビエンナーレに出品 されたL.E.D.の大作《MEGADEATH》。 2,400個のガジェット(発光ダイオードによるデジタ ルカウンターのユニット)が、幅34メートル、 高さ6メートルの壁面を埋め尽くす本作は、20世紀 の総括というテーマで制作され、大量虐殺や戦争 などの「人為的な大量死」を意味している。 20世紀に人類が行なってきた殺戮がモチーフとなっ ている本作だが、ロシア対ウクライナの苛烈な戦争 が繰り広げられている今、この作品は21世紀を生き る我々にとっても「死」を想う上で、意義深い作品 と言える。 Mega Death 宮島 達男
Les Archives du cÆur ChrisGan Boltanski ボルタンスキー氏によって2008年から始められ た、人々が生きた証として心臓音を収集するプ ロジェクト。この作品では、これまで氏が集め た世界中の人々の心臓音を恒久的に保存されて おり、それらを実際に聴くことができる。 また、本展覧会では来場者一人一人に心臓音を 録音してもらい、それを流すことで、自身の生 と、この同じ展覧会に来たという体験を共有す る他者の生にも思いを巡らせてもらえるように している。 本展覧会は「メメントモリ」、すなわち「死を想 う」ことをテーマに企画しているが、最後にこの 生の証である心臓音を聴いてもらうことで、自身 のこれからの「生」を想い、新たに出発して欲し いという意味を込めている。
「『ライフタイム』には始まりと終わりがあり、生と死があります。私の ことであると同時に各自の『ライフタイム』でもあります。 『ライフタイム』には出発と到着があり、展覧会にはそうした作品も展示 してあります。ある程度生きて人生を振り返ると、いいこともあったし、 悪いこともあったと思い、人生がじきに終わるだろうと思い、死が近づい ていることを感じるのです。」 展覧会「ライフタイム」ボルタンスキー⽒ インタビューより 出発 Christian Boltanski | 2015
終わりに 最後に、そもそも何故、このような主題で展覧会を企画したのかということに触れておきたい。今、我々 は、数年にわたり社会に蔓延し続けているコロナや、終わりの見えないロシア対ウクライナの戦争など、 世界中に死の気配が色濃く満ちている時代を生きている。その中で、我々は何度も「死」は決して遠く離 れたものなどではなく、常に我々の生に影のように色濃く付き纏うものであるということを否応なく、自 覚させられてきたはずだ。故に、そのような日々で生きていかなければならない我々は一度、それぞれに 「死を想う」必要があるのではないだろうか。 ここで強調しておきたいのは、「死を想う」ことは「死」への恐怖や恐れを増長させるようなものではな く、「生を見つめる」ことと同意義であるということだ。なぜなら、「生」と「死」は地続きであり、 「死を想う」ことは我々一人一人が「死までの道のりをどのように辿るか」即ち「どう生きるのか」とい う問いの答えにもつながるからだ。 この展覧会には、「The perfect place to grow 2001」などのように、「死」がテーマではなく、むしろ記 憶や人生といった「生」にまつわる作品もいくつか展示しているが、そこには上記のように「生」と 「死」はコインの表裏のごとく常に一体であり、「死を想う」=「生を見つめる」ことであるという企画 者のメッセージを込めている。 この展覧会で、死の世界に『到着』した皆さんが、死への想いを馳せる道中の終わりに「心臓音のアーカ イブ」で「生」の鼓動を感じ、再び自身の生へと『出発』してもらえることを願って、本展覧会の結びと したい。
参考文献 死を想い、⽣を表現する。巨匠クリスチャン・ボルタンスキー、⽇本最⼤規模の回顧展『Life&me』を⾒よ。 |Pen Online Soul Reclaim Device / Echoes | Zai Nomura ‘The Perfect Place to Grow’, Tracey Emin, 2001 These fascinating photos show how 10 different people customize identical apartments in the same building heaven and earth (1992)
知っておきたいダミアン・ハーストの挑発的アート。 ホルマリン漬けのサメから胎児の彫刻まで |ARTnews JAPAN file:///宮島達男展 MEGA DEATH/ shout! shout! count!| 東京オペラシティ アートギャラリー ⼼臓⾳のアーカイブ | 豊島観光ナビ ⼩池寿⼦「死を⾒つめる美術史」筑摩書房 2006年