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January 25, 25
スライド概要
日本脳卒中協会では、1990年から、脳卒中の患者さんやご家族による「脳卒中体験記‘脳卒中後の私の人生」を募集し、優れた作品を公表してきました。
私たち日本脳卒中協会 患者・家族委員会は、四半世紀に亘り蓄積してきた脳卒中者の体験記の中から「心に響く言葉」を抽出し、「365の言葉」としてまとめました。
制作・著作:公益社団法人日本脳卒中協会
365のことば (第18~20回) 2025年1月24日
人生観・信念 回 作者(敬称略) 言葉 早く救急車を呼ぶ事、早く心臓マッサージをする事の重大さを感じた私の体験です。 18 小山 幸子 入院してからというもの、次から次へとお見舞いに来て下さる方々が多くて、永年にわたり人の絆 18 谷川 久美子 をつなげてきた人なんだと人脈の深さに改めて知らされる思いでした。 「それでも僕は生きている、だから!」 18 畠山 修一 それから僕は、自身の悲哀に打ち勝とうと思った。(中略)いつしか僕の左足は、はるか南海上に 18 畠山 修一 台風が発生することを、三日も前からわかるようになっていた。 せっかくもらった命なら、思いっきり使ってやろう。 18 畠山 修一 身体障がい者(身障者)になって初めてこの世界のことを実感しました。そして健常な頃とは異な 18 関 安彦 る分野の方々や情報との接触で自分の世界が広がりました。 健康に越したことはないが、それだけで充分なのだろうか。そこに努力工夫の生き場所がある様な 18 水谷 仁子 気がしている。 燃えるような紅葉の下、私の新しい人生は、確かに今始まったと強く感じた。 18 水谷 仁子 脳卒中後特有の重い障害が残っていても死んだのではない。病前と同じように生きて人生を歩んで 18 長坂 祐司 いる。ならば楽しく生きたい。 「慶びを独占から共有」 18 長坂 裕司 私は、この病気の治療は、日々の生活やリハビリをいかに楽しいものに変えるかが重要な鍵になっ 18 幸村 博 てくるように思います。 人間である以上自分の足で歩けることが一番幸せではと思います。また、脳にとっても歩く行為は 18 伊藤 繁 一番良いと信じています。 人と関わるのが実際には想像するより負担になります。その負担は相手の方もこちら以上のようで 18 江尻 みどり す。 誰もが出来ることが出来ないのは悲しさもありますが、少しでも出来るようになるととても幸せな 18 江尻 みどり 気持ちになります。 大事なのは、人と自分は違うと思うことかもしれません。 18 江尻 みどり 麻痺した自分の身体は自分が一番分かるはずですし、焦るじれったい気持ちは自分にしかわかりま 18 江尻 みどり せん。(中略)最後は自分がどうしたいか、自分に出来ることは何かを自ら考えることです。
人生観・信念 回 作者(敬称略) 言葉 自分を幸福に出来るのは、自分自身なのだ。 18 傍田 敏子 19 神明 由美子 六年間を終えて思うことは、最後まで働き続けることが出来て良かったと言うことです。 もし、昔のままの自分だったら、子どもの嬉しさや悩み悲しみがいまほど分からないままで退職に 19 神明 由美子 至っていたと思います。 くも膜下出血により方向性が変わってしまった人生を、病気によって新たに得たものを活かして生 19 小見山華恵 きていこうと思います。 介護する人たちから明るい心の光が失われないような社会をつくっていかねばならない。 19 永田 和世 19 梅木 美智雄 「しゃあない」と割り切れるようになった。 病気になっただけで、幸せを無くしたわけではない。 20 大野 永 20 竹之内 祥恵 「人は人に救われる。」私は救われた。 20 竹之内 祥恵 今の自分の体と一緒に第二の新しい人生を生き抜こう 健康な時は気にも留めていない小さな目標だが、心が折れそうになった時、強い味方になってくれ 20 西畑 欣二郎 る。 困難は分割して、一つ一つ片付けていく。そうするときっとその困難は終わることができるはず。 20 馬渕 敬 困難は分割せよ 20 馬渕 敬 脳卒中になり、体に不自由は在るが、夢は広がり、人生に無駄は無いな・・・と楽しめるこの頃で 20 岡井 一 す。 どんなに調子が良くても奢る事無く、どんなに苦しくても落ち込まず、常に平常心で在りたい。 20 東 省三 私以上にハンディキャップを負う人も、そうでない人も共に助け合っていける社会の実現に寄与し 20 濵中 哲 たい。 感謝の気持ちを持ち続けながら「キープオンゴーイング!」 20 中馬 親子 脳梗塞を経験してつらいこともある。脳梗塞を経験してもたくさんの幸せを感じることがある。脳 20 竹之内 祥恵 梗塞を経験したから感じる幸せもある。
家族・当事者(支える・支え合う) 回 作者(敬称略) 言葉 私がどんな状態になるかも分からないのに結婚してくれた妻に大きな感謝です。 18 細川 貴司 私達、老老介護でも信じてやれば出来るという証明が出来た。愛には勝るものはない。明日に向 18 藤井 弘子 かっていきたい。 たった一人の兄弟に車椅子を押してもらいながら、(中略)そんな私達にもゆったりと向かい合う 18 水谷 仁子 機会を、図らずもこの病気はもたらしてくれた。新しい発見、幸せがここにもあった。 医師と妻の話には、嘘はないと心から感謝している。(中略)俺は現場で生きている。今日も生か 18 暁 秀学 されている。(中略)本当にどうもありがとう。 家族のためにも、友人のためにも、関わってくれる全ての人のためにも頑張るという気持ちははた 18 江尻 みどり 迷惑かもしれませんが、今の私を支えてくれています。 子どもたちは壊れてしまった私をやさしく迎えてくれました。あの時、「どんな体でもいいから生 18 石井 すみ子 きていて」と言われた言葉が嬉しかった。 片手でハンドルを持つ私を孫たちは、「スーパーマンのようだね」とよく懐いてくれています。 18 石井 すみ子 身障者になったことで子どもの優しさや温もりを感じられるようになりました。 19 神明 由美子 頑張っている主人を信じなくては!まだ、夢うつつの主人の魂よ、必ず、現世に戻れ!特別な宗教 心はないけれど、「信じる者は救われる」その言葉を信じて、念じて、今日も主人に会いに行きま 19 久保 恵子 す。 「生きるというのは、つなぐということだよ」 囲碁の手ほどきを娘の私に授けながら、父はパ チッと白の碁石を置いて、ばらばらだった目を一つにつなげてみせた。「さあ、これで白は生き 19 原田 真由美 た」 こんな体で生んだ子でも、必ず自分で元気に育ててみせる 20 櫻井 俊甫 「ありがとう」と声に出してはいいませんが感謝しています。 20 小林 勝行 妻への感謝と、障害を負ったことによる、様々な出会いを大切に、もう一段、きざはしを上がって 20 東 省三 みたいと思っている。 何もわからないのではない。わかっている、ということを伝える術を失っているだけなのだ。 20 大野 永 子どもに、家族に、私が出来る。それが幸せ。 20 大野 永 同じ病の皆さん。人生は終わらない。どうぞ、どうぞ越えて生きて下さい。病気になっただけで、 20 大野 永 幸せを無くしたわけではない。
受容(過去・障害) 回 作者(敬称略) 18 細川 貴司 18 細川 貴司 19 魚山 幸子 20 髙橋 貞之 20 小原 智史 20 大野 永 20 大野 永 言葉 お医者でもリハビリの先生でも本当の麻痺の感覚は分からないでしょう、麻痺はなった者にしか分 からない事が沢山ある。 決して後遺症と共に生きていく覚悟が出来た訳でもなく、何か生きがいを見つけた訳でもなく、 おとうさんは居てくれるだけでいいのよ、そう言い続けていた賢母が狂ってしまった。その2ヶ月後、 夫は逝ってしまった。 「ありのままの姿を見て貰い、今後の人生自信を持って生きるきっかけになれば」 自分のおかれている状況をなんとか理解させる事が必要なのかもしれない。 麻痺した体というのは重くて、地球に重力というものがあると、身を以て感じる。 嘆くな。もう、あの時の身体はないという事を受け入れろ。
ポジティブ思考(自己奮起・発奮) 回 作者(敬称略) 言葉 もっともっと笑い話になる日をめざして...! 18 細川 貴司 「芸の道は厳しいと言われるが、こういう修行をしてこそしゃべれるのが上達するかもしれん。ひ 18 桐原 和彦 とつ、転んでもただでは起きん大阪人のど根性を見せたろうやないか」 「柏田さん、前を見て歩いて下さい」「人生も同じですよ」 18 柏田 峰生 「今日が一番どん底だと思えば、明日から少しずつ良くなっていくよ」 18 江尻 みどり 今の楽しみは出来ることを増やすことです。何かことをなすのではなく、例えば寝返りがスムーズ 18 江尻 みどり に打てるようになるとか、滑舌を整えるとか、愛きょうのある表情をつくるとかです。 誰もが今日よりも明日はほんの少しですが、自分の意識では良くなるはずです。 18 江尻 みどり 一番どん底の時より少しでも良くなる、動作を一つずつ覚えていく、思い出すそんな気持ちを持つ 18 江尻 みどり とこの病気とも戦う勇気が湧いてきます。 あの頃の私しか知らない友人に会う勇気はありません。でもこれも達成したい目標の最上級と思え 18 江尻 みどり ばチャレンジする価値はあります。 どっちみち、やらねばならない事は、良い顔をしてやれ。 19 魚山 幸子 なにぶん初体験だ。面白がってやればいいじゃないの。生きられて幸せ。これを合い言葉に・・・。 19 魚山 幸子 片麻痺は個性であり人生をブランドに育ててくれました。 19 原田 太郎 社会に役立つ「小さくても一つでもよい片麻痺自助具で一番になろう」と決意。 19 原田 太郎 負くるむんか(方言:まけるもんか) 19 原田 太郎 病気によって料理への情熱と、失った能力を補うためのメソッドを新たに得ることができました。 19 小見山華恵 病気によって新たに得たものを活かして生きていこうと思います。 19 小見山 華恵 「意識の持ち方一つで、病気に立ち向かう気持ちを変え、人間の生き方までも変える事ができる」 19 渡辺 銀市 私は、後遺症と共存することに決めたが、病気に負けた訳でも諦めた訳でもない。 20 髙橋 貞之 一度は死んだ身、ピンチをチャンスに 20 西村 俊昌 「まだ、誰かの役に立てる。」と知って心が震えた。 20 大野 永
リハビリ(復・改善・代替) 回 作者(敬称略) 18 藤井 弘子 18 赤城 隆 18 傍田 敏子 言葉 今思振り返れば再々病院の先生から、歩く事、食べる事が無理と言われながらも反発して負けず に、リハビリを続けてきた事が目標を持って努力すれば必ず出来ると確信を持った。 リハビリは<なにくそ!>と<学ぶ>こと。「やれば出来るし、絶対諦めちゃいかん!!」と、 今の生活を見て本当にそう思う。 昨日出来なかった事が、今日はできる様になる。世の中がパーッと明るくなり、希望が持てるよ うになれた。 19 梅木 美智雄 失語症の仲間に伝えたいこと「しゃべれる場所に行く」こと 20 武智 眞 親指が「ピク」と動いた。表現し難い嬉しさが込み上げてきた。 20 中馬 親子 全く動かなかった左腕が仰臥位だが、枕元まで上がるようになった。思わず療法士と喜び合った。 「ヤッター」 20 大野 永 必死の育児は最高のリハビリ
苦難(感情・偏見) 回 作者(敬称略) 19 永田 和世 19 髙橋 貞之 19 宇野 満子 19 門栁 仁美 言葉 二十五歳の私には、両親が病気を抱えてしまったことへの悔しさや淋しさでいっぱいになり、 現実を克服するには残酷だった。 私は病気になったお蔭で、それまで忘れていた母の愛情や、周囲の方々の思いやりを改めて感 じることができた。 病気になり、二人でくやしい涙をいっぱい流しましたが、足が動いたり、手を上げたり、言葉 が出た時など、うれしい涙もいっぱい出しました。屈伸運動をしたり、手を持ち上げたり、手 首を動かし、手のひらを開いたり、毎日二人で行っています。 無理解な医療従事者の言葉や態度にかなりショックを受けた。(中略)自尊心はズタズタだっ た。(中略)必死に耐えた。