ア。

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August 11, 25

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ShizuokaTECHのLT用の登壇資料です。

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関連スライド

各ページのテキスト
1.

やじゅ@静岡Developers勉強会 - ShizuokaTECH 2025/08/10

2.

自己紹介 ブログ: https://qiita.com/yaju :https://x.com/yaju 𝕏 •なぜ機械学習にPythonが選ばれるのか •自然対数の底(ネイピア数) e は何に使うのか •ジョン・ネイピアが20年かけた対数表について •なぜ数式には2乗が多いのか •なぜ「+1」や「-1」をするのか •1バイトが8bitに定まったのは2008年 •なぜループカウンタ変数のほとんどに “i”が使用されるのか? •押下(おうか)にまつわる話 •ローマ数字のⅣとⅥ、ⅨとⅪを混同しなくなる方法 •数学史および通信史の紹介

3.

『チ。-地球の運動について-』を知っていますか? 中世ヨーロッパ風の架空の国が舞台で、「地動説(太陽の周りを地球が回っている)」を信じ、 命を懸けて真理を追い求める人々の物語です。 当時は宗教的な理由で天動説(地球中心)が正しいとされており、地動説を唱えることは異端 とされていました。 そんな時代に科学の真理を追求する姿を描いた、非常にシリアスで哲学的な内容です。 作者:魚豊(うおと) 連載:2020年 2022年(全8巻) 2024年10月〜 アニメ化 ~ 掲載誌:週刊ビッグコミックスピリッツ(小学館)

4.

ア。-数字の運動について中世ヨーロッパ。 「地動説」を唱えると異端として裁かれた時代がありました。 実はそれと同じように、「数字」に関しても異端とされた人が います。 13世紀の修道士、ロジャー・ベーコン(1214年-1294年)。 彼はアラビア世界から伝わった新しい思想と数字の利便性を広 めようとして、1277年頃(63歳)から10年間幽閉されました。 「ア。」は地球ではなく、数字の運動についてです。

5.

ローマ数字の限界 ローマ数字による計算は、位で記号が変わる「桁記号記数法」で直感的ではない。 商人も学者も、複雑な計算にはアバカス(そろばん)が必須でした。 XLVII + XXIX --------------LXXVI 同じ計算を現在の方法(位が変わっても同じ記号を使用する「位取り記数法」)に 置き換えてみます。筆算として直感的に計算ができます。 47 + 29 --------------76

6.

アラビア数字の革新 そこにやってきたのがアラビア数字̶̶実はインド発祥で、アラビア世界を 経由してヨーロッパに伝わりました。 1202年、フィボナッチ数列で有名なフィボナッチが「算盤の書」でアラビ ア数字をヨーロッパに紹介。 0(ゼロ)の概念、位取り、そして筆算が可能になる仕組み。 例えば 47 + 29 = 76。 これを紙と鉛筆だけで瞬時に計算できます。 商取引、測量、天文学…あらゆる分野が効率化します。 日本には明治時代(1872年)に導入、和算が同じ十進法のため混乱なく移行

7.

ゼロの発明 古代ギリシア数学では「図形の数学」として「数」と「形」がセットで発達 図形的に「0」は長さも面積もなく図形の世界には登場しないことから、意 味をもたないと宗教的にも嫌われていました。 インドでは「図形の数学」が発展せず、「形」に縛られる必要がなかった結 果、数としての「0」の使用が進み、「0」を演算対象として扱えた。 ローマの没落(455年)〜12世紀ルネサンスまでアラビア数学が発展した。 12世紀ルネサンス アラビア語からラテン語の への大翻訳運動(哲学や科学等)

8.

アルゴリズムの語源 この数字の計算方法を体系化したのが、9世紀の数学者 al-Khwarizmi(ア ル・フワーリズミー)、彼の著作をラテン語に翻訳したとき、 名前と気が付かずに翻訳されたのが 「Algoritmi(アルゴリトミ)」 やがて、「Algorithm(アルゴリズム)」という言葉になりました。 私たちが今日使っている計算手順やコンピュータの用語は、名前の誤解から 生まれたのです。 ※アル(al-)は、英語の冠詞(the)に相当 例 アルカイダ、アルコール

9.

活版印刷の登場 13世紀までは、これらの知識は限られた人だけのものでした。 15世紀、グーテンベルクが活版印刷を発明。 数学書や商人向け算術書が大量に印刷され、アラビア数字と筆算の 方法が一気にヨーロッパ中に広まります。 例 ルカ・パチョーリ著「スムマ(数学全集、複式簿記)」1494年刊行 印刷によって記号や書き方が統一され、誤写も減少。 こうしてアラビア数字は、異端の知識から国際共通の言語へと変 わっていきました。

10.

マイナスが”存在”になるまで 便利なアラビア数字が広まっても、数の世界観はすぐには変わりま せんでした。 パスカルの三角形や圧力の単位名で知られる17世紀のフランスの数 学者パスカルの著書パンセで「0 − 4」を「0」と答えています。 500年後の当時の常識でも、負の数は「存在しない」ものでした。 フランスで同世代のデカルトが直線上の位置を数値で表す仕組みで マイナスを図的表現しマイナスを存在させた。

11.

ア。が変えた世界 かつては異端だった「アラビア数字」。 それが今では世界の共通言語になっています。 知識は、正しく広まれば、異端から常識に変わる。 そしてその運動は…まだ続いています。 完