365の言葉(第2群)

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June 25, 24

スライド概要

日本脳卒中協会では、1990年から、脳卒中の患者さんやご家族による「脳卒中体験記‘脳卒中後の私の人生」を募集し、優れた作品を公表してきました。
私たち日本脳卒中協会 患者・家族委員会は、四半世紀に亘り蓄積してきた脳卒中者の体験記の中から「心に響く言葉」を抽出し、「365の言葉」としてまとめました。

制作・著作:公益社団法人日本脳卒中協会

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1.

365の言葉 第2群 (第12~17回) 2024年6月25日

2.

人生観・信念 回 作者(敬称略) 言葉 12 北田 國男 生きる事の苦しみがあっただけに生きる良さがたくさんあります。 障害者や高齢の方など、不自由を抱えて生活をしている人に暖かい手を差し伸べることが当たり前 12 吉川 ハヤコ の社会になって欲しい。これからの常識になって欲しい。 人は一人では生きられず、同じ境遇の人は決して自分一人ではないとつくづく実感している今日この 13 吉池 久守 頃です。 倒れて満5年、これからの我が人生。生かすも、殺すも、すべて自分しだい。少しでも元に戻したい信 13 北田 國男 念と挑戦への勇気、やる気、そして根気だ。 13 北田 國男 病気は自分が主治医です。 充実した人生にするため自分自身の精進のみです。人にいえない苦しみがあっただけに、必ずよりよ 13 北田國男 い楽しみがあると信じて邁進しよう。 13 北田國男 健康と元気だ!金が少々あれば、老いも楽しいものになると確信します。 将棋の駒の歩は、ひとますずつ前に進み相手陣地に入ったら金として生まれ変わる。自分なりに一歩 13 高木真由美 一歩前に進んでいると変われるのだというふうに気持ちが変化したのです。 13 土井 敏彦 健康管理に注意し、再発しないように努めることが、私を支えてくれた人々への恩返しだと行う。 脳梗塞になる原因は、いろいろある。決して年をとった人がなる病気ではない事も実感した。実際、 13 竹之内祥恵 私が入院している時も脳梗塞で運ばれた人は年をとった人ばかりではなかった。 13 佐々木 量悦 開き直りが楽しい時間を広げてくれる 13 佐藤 千恵子 障害者として生まれ変わり、二度目の人生がスタートしました。 14 村上通隆 折角授かった「第二の命」まで輝きを失って色褪せてしまいそうだからです。 第二の人生は「第二の命」に障害から貰った新しい個性を加え積極的に残りの人生を歩んで みたい、 14 村上通隆 そして可能なら「僅かでも人の為に役立つようになりたい」と願っています。 14 神谷武秀 少なくとも外面だけは明るく、積極的に振る舞うようにしています。

3.

人生観・信念 回 作者(敬称略) 14 山上文美 14 高原 瑠理子 15 匿 名 15 大﨑 一郎 16 小林 祐介 17 長尾裕子 17 高橋貞之 17 矢島俊夫 17 鹿島勝美 17 佐藤弘道 17 大楽俊明 *:原文のまま記載しました 17 前田誠一 17 森山真美 17 瀧本美津恵 17 吉田昭雄 言葉 自分の唾さえ飲み込めない。そんなマイナスの状態から1つ1つできることが増えているのだからそ れを喜びたい。そして身体の100% 回復は無理でも病気になる前より精神と心は成長させたい。 未来は無限大だと信じ、この文章を書いているのだ。 生きることは大変だけど、そこには幸せがいっぱい存在している。 病気を治すためにも健康に生きるためにも、いい「場」に身を置くことが大切です。歳老いたことを出 来ない理由にしないこと。時間は自分を上等にしてくれるものに使うこと。大事に生き甲斐を求めて 精進します。 今後は、発症前より人に優しくなれると思う。人生のアンコールを演じることが出来る幸せは、そうそ う味わえるものではないだろうから。 障害を負っても自分のできることで人の役に立ちたい、喜んでもらいたい、人は誰でも明日がわらか ない、だから今日一日を精いっぱい生きると夫はよく言っていた。 一人で悩まず考え込まず、人に話し時には甘えてみるのもいいかも知れない。 その二人の笑顔がとても可愛くて、まるで少女のようでした。 現実を受け止め、リハビリ効果が、加齢の衰えに勝てるように努力していきたい。気持ちは生き方を かえる。元気になったと思うだけで、さらに元気になります。 自分の意思が働くうちは自立した生活に心掛けることが大切である。 また健常者の方が、親切と考え、不自由な方へ過剰な親切をされる事を見受けます。しかし本来の親 切は本人の自立にあります。 66歳*、後期高齢者でもある私は、人生最後に『ありがとう』と、言って生を終えることができる人間 を目指して、明日も走る。 一度きりの人生、何にでも挑戦して、できる事は一生懸命する、しようと思えるようになった。 人にはそれぞれに、生き方も、暮らし方もある。人には人の時間がある。同じ時間でも人によっては 十分が一時間にもなる気がするのです。 一歩、一歩が充実しているのだ。前向きにゆっくり歩くこと、これが実人生を生きることだと思う。そ れは幸せに通ずる道なのだ。

4.

家族・当事者(支える・支え合う) 回 作者(敬称略) 言葉 12 根本 政海 自分にとっては信じられない父の姿だった。父が倒れるまではあんなに元気だったのに、くも膜下出 血を発症後、寝たきりに近い状態になるとは思わなかった。 13 佐藤 千恵子 結婚式当日、私は車椅子で参加しました。主人の腕につかまり、一緒に入場してきた娘を見たら、母 親らしいことは何もできず申し訳ない気持ちでいっぱいになり、思わず涙があふれてきました。 13 池川 誠治 入院していた時の同部屋の方々と意見交換会と称して1年に2回の割合で集まります。病気や近況の 事をお互いに話合い、情報の交換をします。自分だけ苦労しているのでは無い事を再度認識します。 お互い切磋琢磨して頑張ろうと、実に思う瞬間です。 13 高木真由美 同じ病で戦っている方たちの体験記を読み、チャレンジ精神、生きる力のすばらしさ、ご家族との絆 に感銘を受け、脳卒中で人生が一転したけれども、めげない気持ちが伝わり、私も片麻痺に負けない ぞと思い、そしてこの半世紀の人生の節目に、何か目標を持ちたいと前向きに考えることが出来まし た。 13 高木真由美 私が行動を起こすとそれに対し応えたいと意志を示してくれる主人をはじめ、いろいろな方にいろい ろなかたちで、優しさに触れることがあります。また、癒されたりと、この障害になってから解ること です。 14 村上通隆 一つのことに気付きました。私が障害者であるが故に、相手の警戒心を取り除き安心感を与えている ということです。 14 高原瑠理子 家に帰っても歯磨きも食事も母に手伝ってもらい、寝起きも、歩くことでさえ、手摺りがないと難しい。 もちろん今でも家には手摺りだらけだ。廊下にも誂えてもらった。 14 高原瑠理子 優しい気持ちで、家族のために働き、充実した一日を終える。しかし、それだけでは終われない。これ から私は社会に出なければならない時が来る。 今は何ができるかやれるのか再考する期間だ。 17 長尾裕子 「人はいつか死を迎える、そのために悔いのないよう生きたらいいんじゃないか」と夫は言った。 17 山下晃司 一つでも多く旅行に行き、行った場所で美味しいものを妻と二人で食べる…これは私の夢です。夢は 叶えなければならないので、元気なうちに行きたいです。

5.

受容(過去・障害) 回 作者(敬称略) 言葉 12 林田 正幸 こうなった上は、日々をどう生きるか。何を心の支えとして生きるか、悩んでいる。前向きに生きなけ ればと、自分に言い聞かせているが、ふと不安な気持ちに襲われる。 12 吉川 ハヤコ 退院後は人が訪ねてくださっても、何かと理由を付けて会わないようにしていました。自分の変わり 様が恥ずかしく、人に見られたくないとの思いが強くあったからです。 13 池川 誠治 世間は決して私には合わしてくれない。私が世間に合わす事で、自分の目標が出来る。 13 北田 國男 過ぎ去った過去と縁を切り、前進あるのみの生活に変えねばならない、変えよう、と必死に格闘して きました。 13 北田國男 世の為、国の為、家族の為、最後は自分の為です。泣くか!笑うか!誰も助けてくれません。ただ一度 だけの人生です。大事に、大事に!当の本人の生き方しだい。 13 小川和貴 外見を極端な位気にする性格は、長期の入院生活で、余りにも変わり果てた我が身を一切気にしなく なっていました。 13 竹之内祥恵 四十過ぎたら何が起こってもおかしくないのだ。なってからでは、ものすごい時間とお金と努力が必 要になってしまうから。 14 神谷武秀 内心は、常に葛藤が渦巻き、障害も非常に重いものではないまでも、軽いから故とも思っていません。 14 池田三砂子 今まで病気で休んだことは一度もなく、(中略)本人に全く突然のことでした。 17 佐藤弘道 「自分でも出来るものがあるはずだ」と考えることが大切。

6.

ポジティブ思考(自己奮起・発奮) 回 作者(敬称略) 言葉 12 田部 譲 不自由でも、いろんなことを挑戦していきたいと思う。 12 山田 賢成 人それぞれに、病の場所も種類も、程度も違うでしょうが、いつか必ずご褒美が、あなたにも入手でき ると思います。乗りきる努力をして下されば。 12 吉川 ハヤコ 知り合いに会っても、遠くから見ているだけで声をかけられることがありませんでした。でも私自身 に余裕ができ笑顔が増えていくと、今まで遠めに見ていた人も寄ってくるようになりました。待って いてはいけません。時には自分から助けを求めることも必要です。 13 手嶋 きゅう 不便な左手一本と車椅子の身となったが、努力は天才に負けないと言う信念で、「不便な左手での雑 草自由詩人・手嶋晩成」「不便な左手での作詞作曲・手嶋きゅう」「不便な左手でのノンフィクション作 家、エッセイスト・手嶋きゅう」、そして本名は手嶋久(てしまひさし)・等が実現でき、今では沢山の作品 が著作・発表できております。 13 寺岡 靖男 いろいろなスポーツのなかでもフライング・ディスクは何より大好きになり、スポーツ交流館で開催さ れるリハ・カップ大会でも度々メダルを貰い身体を動かす喜びで身体の不自由な事を嘆くことが減っ てきました 13 寺岡靖男 私の身近に 体の不自由な人がいて、私はなに不自由なく元気で体を動かせたり歩けたりできること がなにより幸せだと思うようになりました。そしてこういう人ががんばっているなら私も「もっとがん ばらなければいけない」と思いました。 13 高木真由美 勝った試合からは、何も学ばないが、負けた試合からは、多くのことを学べる 13 高木真由美 そのかたの言葉に、「目がみえなくなったけれど、その代わり、耳・鼻が結構おぎなってくれるのよ。」 と、この方のように考え方ひとつで生きていく力が、湧くのだと、この方からおそわりました。 13 竹之内 祥恵 人の温かさに触れられた事は、この病気のお陰だと思った。 14 村上通隆 好むと好まざるとにかかわらず、「障害」は私の新しい個性として私自身になっていて、その個性は悪 い面ばかりでも無いのだということを理解しました。

7.

ポジティブ思考(自己奮起・発奮) 回 作者(敬称略) 言葉 14 神谷武秀 障害を持ち、いったん無になったところから出発し、工夫をすることにより、あれが出来た、これも出 来るようになったとプラス思考に転じることにより、明るくなることが出来ます。 14 高原瑠理子 高次脳機能障害の症状を絶対に打破したい。 14 稲葉俊之 しかし逆に時間をかけてもうまく行った時は「やればできるじゃん」と気分を良くします。落ち込んだ り、気を良くしたり、そんな毎日を繰り返し過ごしています。 14 稲葉俊之 昨日よりすこし歩けたとか、今日は足が軽くなったとかささいなことでも気分はアゲアゲです。 17 高橋貞之 今の目標は職場復帰。人の役に立ちたい一心で公務員になったはずが、逆に助けられてばかり。元気 になることが何よりの恩返しになるのでは。 17 髙橋 貞之 発症して二年目を迎え、これからを「復活期」と名付け、更なる回復目指して今日もリハビリに励みた い。私は決して諦めない 17 矢島俊夫 当たっているだけに何も言い返せない私は、何故かとても嬉しく認知症サポーターとして満足感さえ 覚えたのでした。たかがじゃん拳。されどじゃん拳。 17 佐藤弘道 ありのままの自分を出せたのでほっとした。何か吹っ切れたような感じがした。自分でも「何か出来る ものがあるはずだ」と思い考えを巡らせた。 17 中野恒一 これからも、次々と新しい冒険をしたい気分が沸いてくる。

8.

リハビリ(復・改善・代替) 回 作者(敬称略) 言葉 12 北田 國男 ここまで回復したのだから良しとするべきだ。甘えるな!現状維持に努めよ。と言われる。この一言で リハビリへの気力が消えてしまったような気がする。無気力人間化した。 12 北田 國男 終わりのないリハビリ、生がある限りすべての活動がリハビリと思い、挑戦は続きます。過去と縁を切 り、すべてを忘れ去り。前途あるのみ笑顔で、明るく希望をもって楽しく生きよう。 13 手嶋 きゅう もし途中で止めてしまえば、 障害は止まるのではなくて元の障害に、戻ってしまうから恐いのだ。だ からリハビリは毎日、寸暇を作って続ける事が必要で、 私などは2キロ程の所に在るモーターハウス まで、毎日「歩行リハビリ」でゆっくりだが歩いて行き、着いたら全身を働かすリハビリ体操を行って から、モーターハウスのモーターの喧しい騒音に負けない発声リハビリを行ない、また歩行リハビリで 戻ってくる。 13 白居 雅子 たとえ10分ずつでも、日常生活の中でリハビリを行う。そう考えることが、一番大切な事のように感 じる。 13 白居 雅子 体の状態を現状維持させる為のリハビリになってくるので、やったらやった分だけ向上するというも のでもない。側で見ていても、「やっぱり元通りの体にはもどらない。」 という落胆した気持ちと、「少 しでも、よくなれば…。」という気持ちの間で、揺れ動いた。イライラして周囲の人間に当たる時もあっ た。そういう時は、こちらの気持ちもつらく、しんどくなる。 14 高原瑠理子 ひょんなことをきっかけに、一日一絵を目標にして、動物の絵を書いている。結構評判がいい。シバイ ヌ、シロテテナガザル、ウサギ、キリン・・・。そこに、ごく最近まで、斜視や手術による禿げで嘆いてい た私はもういない。

9.

リハビリ(復・改善・代替) 回 作者(敬称略) 言葉 14 池田三砂子 ある日ラジオで一日のうちで介護で良かった事、介護以外でうれしかった事を平行して書くと良いと のこと。さっそく入院半月目からその方法で書くことにしました。 14 池田三砂子 入院中に知った「奇跡の脳」と言う、アメリカの38歳独身女性の脳科学者が出勤前に突然脳内出血で 倒れ、大手術で命は助かったものの半身マヒと言葉も数字もわからない状態から、母親の大きな支え もあって、8年で完全回復するまでの記録の本を読みました。 14 池田三砂子 本人の努力はもちろんですが、脳の発達のすばらしさと努力の結果で、とにかく「あきらめない」こと だそうだ。この本がこれからの大きな希望と支えになりました。 17 長坂祐司 リハビリでフィジカル面ばかり強くすることに専念するのでなくてメンタル面で強くなることを習得 するべきだということです。

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苦難(感情・偏見) 回 作者(敬称略) 12 山田 賢成 13 鷲谷 玲子 13 白居 雅子 13 北田國男 13 北田國男 13 竹之内祥恵 14 村上通隆 14 高原瑠理子 14 稲葉俊之 言葉 障害手帳はつらい刻印だった。国や県が認める「ダメ人間」の証明書に思えた。医師のすすめで「治ら ない」書類を貰って手続きした時も惨めに感じた。 カルテには「右半身不随」と書かれているではありませんか!それを見たときの衝撃は今もって忘れ る事は出来ません。命を取り留めたとは言え、半身不随なんてあまりにも悲しすぎます。 今までの健康な自分が急に病気になり不自由な体になった事を受け入れがたいようだった。両親を 早く亡くし、何でも自分でしていたのに、思うように体が動かない苛立ちは、ものすごかったように思 う。 すべてを投げだし、人間もやめてしまおう、、、と思うことしばしば。努力の結果がでるでなし、限界感、 挫折感ですべてを投げ出したい。 (中略)生きている限りこの障害を背負う宿命なのだ。自問自答! 毎日、毎日自分との戦いです。 運動機能が麻痺してしまっているので、変わり果てた自分の姿が哀れ、悔しい、情けない、リハビリを 行う前に生きることの絶望感が先にしっかり定着してしまい、苦しいリハビリを拒絶し、リハビリが嫌 になるのです。 小さな血栓が血管につまっただけで、こんな状態になるのかと思うと恐くなった。自分の意思が手や 足に全く通じないのだ。この気持ちは経験した人しかわからない。 歯科あるいは口腔外科を天職と思ってきた私にとって右手が使えないというのは致命的で、「全てを 失ってしまった」という深い喪失感が私の心を支配していました。 一番やっかいなのは 「高次脳機能障害 」。新しいことを覚えるのが苦手。この障害も個性と言えば個 性だが、勤めていくことに対し非常に邪魔者になる。これがもとで私は会社を退職させられざるをえ なかった。 しかし、家にいることが多くなり、今まで何気なくできていた雑用、切れた電球の交換や新聞紙を束 ねることなど、とっても多くのことが簡単にはいかず、やりようのない喪失感におそわれ、涙すること もたびたびあります。