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November 07, 17
スライド概要
ビブリオバトル・シンポジウム2017の基調講演のスライドです。
1977年茨城県生まれ|皇學館大学文学部国文学科准教授・図書館司書課程|つくば→スロベニア→伊勢|図書館情報学(文学館・文学散歩・文学アーカイブ・ウィキペディアタウン・学生協働・読書会)|ビブリオバトル普及委員会代表理事(二代目)済|知的資源イニシアティブLibrary of the Year選考委員長|伊勢河崎一箱古本市
第19回 図書館総合展 ビブリオバトル・シンポジウム2017 基調講演 本 に な る 2017年年11⽉月7⽇日(⽕火) パシフィコ横浜 第3会場 ビブリオバトル普及委員会 代表 皇學館⼤大学⽂文学部国⽂文学科 准教授 岡野 裕⾏行行
本とは?
1.本とは? 今福⿓龍龍太著 『⾝身体としての書物』 東京外国語⼤大学出版会、2009年年
1.本とは? 本は世界そのもの/世界への⼊入り⼝口 ●本と⾃自分との関係はもっと多様なものでなければならないし、 本来そこには誰にとってもより⾃自由で豊かで創造的な、 柔軟性にみちた関係があったのだと思います。 ●そしてそのときの「本」とは、われわれが書店などで ⽇日常的に⽬目にするいわゆる本でなくてもいいのかもしれない。 ●本は世界そのものであり、世界の尖端で打ち震える何かの 化⾝身なのかもしれない。 ●そして世界を理理解しようとする探求のはじまるちょうど ⼊入り⼝口のところに、いつもモノとしての本がある。 (今福⿓龍龍太著『⾝身体としての書物』東京外国語⼤大学出版会、2009年年)
1.本とは? ⾕谷⼝口忠⼤大著 『ビブリオバトル: 本を知り⼈人を知る書評ゲーム』 ⽂文藝春秋、2013年年
1.本とは? 本の読みは創造的な活動 ●書籍は読者の考えを読者に伝えるメディアにもなる。 ●書籍は、その発表者の考え⽅方や解釈、⼈人となりを参加者みんなに 伝えるメディアとしても働くのだ。 ●本の読みとは本来読み⼿手に委ねられた創造的な活動なのである。 ●コミュニティは共通知識識によって⽀支えられている。 ●また、逆も真なりであり、共通知識識がコミュニティを形作る。 ●ビブリオバトルでは発表者は本の紹介を通して、⾃自らの解釈、 ⼈人となりを吐露露する。 ●これが徐々に組織内部の共通知識識を育んでいくことになり、 コミュニティを育てていく。 (⾕谷⼝口忠⼤大著『ビブリオバトル:本を知り⼈人を知る書評ゲーム』⽂文藝春秋、2013年年)
1.本とは? 磯井純充著 「本がつなぐ新しいコミュニティ」 『マイクロ・ライブラリー』 まちライブラリー編、 学芸出版社、2015年年
1.本とは? 本は価値観や視点の多様性 ●⼈人とつながることは、最後は⼈人の声を聴くことに他ならない ことを忘れてはならないと思います。 ●価値観や視点の違う⾝身近な⼈人を受け⼊入れることこそが、 本当の意味での「コミュニティ」創りなのです。 ●「本」は、その価値観や視点の多様性を象徴しており、 ⾒見見えるようにしてくれているのです。 ●お互いの⼼心の中が少し⾒見見えることが、お互いの理理解にどれだけ 役⽴立立つか、その意味で「本」の持つ役割は、⼤大切切だと思います。 (磯井純充著「本がつなぐ新しいコミュニティ」『マイクロ・ライブラリー』 まちライブラリー編、学芸出版社、2015年年)
読書とは?
2.読書とは? 和⽥田敦彦著 『読書の歴史を問う』 笠笠間書院、2014年年
2.読書とは? 「読書」の概念念を拡張する(⼆二つの流流れ) ①たどりつくプロセス ●書物が時間、空間を移動して読者にまでいたるプロセス。 ●物理理的に書物が運ばれ、読者にまでたどりつくプロセス。 →取次・書店・図書館・学校などの機関や⼈人、 または、交通・通信などの経路路と不不可分になっている。 ②理理解するプロセス ●たどりついたその書物を読者が読み、理理解するプロセス。 ●書物を読者が読み、理理解していく読者の内なるプロセス。 (和⽥田敦彦著『読書の歴史を問う』笠笠間書院、2014年年)
2.読書とは? 読者の形成に必要なもの ●読者とは、書物が「たどりつくプロセス」と、書物を 「理理解するプロセス」の組み合わせによって形成される。 ●読者の形成に対して図書館が果たすべき社会的役割は、 書物が読者のもとに「たどりつくプロセス」の⼀一つを いかに整備し、提供するかにある。 ●ビブリオバトルも「たどりつくプロセス」の⼀一種である。
教育とは?
3.教育とは? 瀬⼾戸昌宣 「「先⽣生・⽣生徒」の枠組みがなくなる」 『ちゃぶ台』教育×地元号、 ミシマ社、2017年年
3.教育とは? 教育と発育 ●瀬⼾戸さんはいつも、これからは「テーラード・エデュケーション」 の時代だとおっしゃっていますが。 ●普通に訳せば、「仕⽴立立てられた教育」。 ●だけどそれでは、いってみればいまの「される教育」というのと ほとんど変わらない。 ●そもそもエデュケーション“education”は“educe”という⾔言葉葉から きていて、能⼒力力を外に(e-‐‑‒)導く(duce)という意味がある。 ●だから、個⼈人が天から授かった資質を「発育」するというのが 本意なんだけど、⽇日本ではこれが「教育」と訳され、 「教師が学⽣生を教え育む」という⾔言葉葉になってしまった。 (瀬⼾戸昌宣「「先⽣生・⽣生徒」の枠組みがなくなる」『ちゃぶ台』教育×地元号、ミシマ社、2017年年)
3.教育とは? 教育と発育 ●だから、まず教育のとらえ⽅方をeducationに引き寄せなければ いけない。 ●俺のとらえ⽅方では、「テーラー」するのは「私」なんですよ。 ●“My education is tailored for me, by me.” ●⾃自分⾃自⾝身が選択して学びを仕⽴立立てる、そんな学校を⾒見見てみたくて。 ●そのときに⼤大事なのって、それを⽀支える⼤大⼈人もともに学ぶ仲間も、 ⾮非常にいい意味でバラバラじゃなきゃダメだということ。 ●興味であったり、感覚であったり。 (瀬⼾戸昌宣「「先⽣生・⽣生徒」の枠組みがなくなる」『ちゃぶ台』教育×地元号、ミシマ社、2017年年)
3.教育とは? 教育と発育 ①教育の「教」の主語は誰なのか? ●教える なのか 教わる なのか? ②教育の「育」の主語は誰なのか? ●育てる なのか 育つ なのか? ③教師とは何をする⼈人か? ●教える⼈人 なのか 教わる⼈人 なのか?
本について語ること
4. 本について語ること ピエール・バイヤール著 『読んでいない本について 堂々と語る⽅方法』 筑摩書房、2016年年
4. 本について語ること 未読の諸段階(「読んでいない」にもいろいろ) ①ぜんぜん読んだことのない本 ②ざっと読んだ(流流し読みをした)ことがある本 ③⼈人から聞いたことがある本 ④読んだことはあるが忘れてしまった本 (ピエール・バイヤール著『読んでいない本について堂々と語る⽅方法』筑摩書房、2016年年)
4. 本について語ること 読書についての三つの規範 ①読書義務という規範 ●われわれはいまだ読書が神聖なものと⾒見見なされている社会に⽣生きている。 ●神聖とされる本に関するかぎり読んでいないことは許さない。 ②通読義務という規範 ●本というものは始めから終りまで全部読まなければならない。 ●⾶飛ばし読みや流流し読みは、まったく読まないのとほとんど同じくらい よくないこと。 ③本について語ることに関する規範 ●ある本について多少なりとも正確に語るためには、その本を読んでいなけれ ばならないという考えがある。 ●しかし、読んだことのない本について⾯面⽩白い会話を交わすことは可能であり、 会話の相⼿手もそれを読んでいなくてもかまわない。
4. 本について語ること 未知の本から既知の本へ ●⼀一冊の本は、われわれの視界に⼊入ってきた瞬間から未知の本では なくなる。 ●その本に関して何も知らなくても、それについて夢想することも、 議論論することもできる。 ●このように、本との出会いというものは、どんなに取るに⾜足らない ものであれ、またたとえ本を開くにいたらないにせよ、 本を真の意味でわがものとする第⼀一歩となりうるのである。 ●極論論すれば、⼀一度度でも出会ったあとに未知でありつづけるような 本はひとつもないといっていい。 (ピエール・バイヤール著『読んでいない本について堂々と語る⽅方法』筑摩書房、2016年年)
4. 本について語ること 本について語る ●われわれは、本を読みはじめる瞬間から、いや読む前から、 われわれのうちで、また他⼈人とともに、本について語りはじめる。 ●そしてそのあとわれわれが相⼿手にするのは、現実の本ではなく、 これらの⾔言説や意⾒見見なのである。 ●現実の本は遠くに追いやられ、永遠に仮定的なものとなるのだ。 (ピエール・バイヤール著『読んでいない本について堂々と語る⽅方法』筑摩書房、2016年年)
4. 本について語ること 本を読むという創作活動 ●読んでいない本について語ることが正真正銘の創造活動であり、 そこでは他の諸芸術の場合と同じレベルの対応が要求されると いうことは明らかである。 ●そのことを納得するためには、そこで動員されるさまざまな 能⼒力力、つまり作品に潜在する諸々の可能性に⽿耳を傾けたり、 作品が置かれる新たなコンテクストを分析したり、他⼈人と その反応に注意を払ったり、さらには⼈人の⼼心をとらえる物語を 語ったりする能⼒力力のすべてに思いを馳せれば⼗十分だろう。 (ピエール・バイヤール著『読んでいない本について堂々と語る⽅方法』筑摩書房、2016年年)
4. 本について語ること 創作者になる ●この〈創作者になること〉は、読んでいない本について語る⾔言説 だけに関係しているのではない。 ●より⾼高いレベルでは、創造そのものが、その対象がなんであろうと、 書物から⼀一定の距離離をとることを要求する。 ●あらゆる読者には、他⼈人の本に没頭するあまり、⾃自⾝身の個⼈人的宇宙 から遠ざかるという危険があるのだ。 ●この創造は、⾃自⼰己の征服と教養の重圧からの解放に向けて 踏み出されたさらなる⼀一歩である。 ●教養というものはしばしば、それを制御するすべを学んでいない者 にとって、存在することを、したがってまた作品に⽣生命を与える ことを妨げるものなのである。 (ピエール・バイヤール著『読んでいない本について堂々と語る⽅方法』筑摩書房、2016年年)
4. 本について語ること 創造の実践の意義を説く教育 ●読んでいない本について語る⽅方法を学ぶということが、創造の諸条件 との出会いの最初の形であるとするなら、教育に従事するすべての者 にはこの実践の意義を説く責務があるということになろう。 ●彼ら以上にそれを伝達するのにふさわしい⼈人間はいないからである。 ●学⽣生たちは学校で本の読み⽅方や本について語る⽅方法は教わって いるが、読んでいない本について語る⽅方法を教えることは学校の プログラムには奇妙にも⽋欠けている。 ●ある本について語るためには、それを読んでいなければならない という公準が疑問に付されたことは、⼀一度度もないようである。 (ピエール・バイヤール著『読んでいない本について堂々と語る⽅方法』筑摩書房、2016年年)
4. 本について語ること 書物を脱神聖化する教育 ●つまり、教育が書物を脱神聖化するという教育本来の役割を ⼗十分果たさないので、学⽣生たちは⾃自分の本を書く権利利が⾃自分 たちにあるとは思わないのである。 ●あまりに多くの学⽣生が、書物に払うべきとされる敬意と、書物 は改変してはならないという禁⽌止によって⾝身動きをとれなく され、本を丸暗記させられたり、本に「何が書いてあるか」を ⾔言わされたりすることで、⾃自分がもっている逃避の能⼒力力を失い、 想像⼒力力がもっとも必要とされる場⾯面で想像⼒力力に訴えることを ⾃自らに禁じてる。 (ピエール・バイヤール著『読んでいない本について堂々と語る⽅方法』筑摩書房、2016年年)
4. 本について語ること 再創造のための読書 ●本は読書のたびに再創造されるということを学⽣生に教えることは、 数多くの困難な状況から⾸首尾よく、また有益なしかたで脱する ⽅方法を彼らに教えることである。 ●というのも、⾃自分の知らないことについて巧みに語るすべを ⼼心得ているということは、書物の世界を超えて活かされるという ことだからである。 ●⾔言説をその対象から切切り離離し、⾃自分⾃自⾝身について語るという、 多くの作家たちが例例を⽰示してくれた能⼒力力を発揮できる者には、 教養の総体が開かれているのである。 (ピエール・バイヤール著『読んでいない本について堂々と語る⽅方法』筑摩書房、2016年年)
4. 本について語ること みずから作家や芸術家になる教育 ●わけてももっとも重要なもの、すなわち創造の世界が開かれて いる。 ●われわれが学⽣生たちにできる贈り物として、創造の、つまり ⾃自⼰己創造のさまざまな技術にたいする感受性を養うことほど 素晴らしい贈り物があるだろうか。 ●あらゆる教育は、それを受ける者を助け、彼らが作品に対して ⼗十分な距離離をとり、みずから作家や芸術家になることができる よう導くべきだろう。 (ピエール・バイヤール著『読んでいない本について堂々と語る⽅方法』筑摩書房、2016年年)
4. 本について語ること 「本について語ること」とは みずから創作者になることである
4. 本について語ること 能動的な読者 ●読書というものはいかに読者側の事情に左右される主観的な ものであるかということだが、バイヤールはこれを否定的に とらえるのではなく、逆にそれこそが読書の真実であるとして、 読書⾏行行為における読者の能動的役割を積極的に肯定する。 ●本がわれわれの内部にすでに書かれてあるのだとしたら、 それを「読んで」いなくても何も臆することはないはずである。 ●⾃自信をもって語っていいのだ。 (⼤大浦康介「訳者あとがき」『読んでいない本について堂々と語る⽅方法』 ピエール・バイヤール著、筑摩書房、2016年年)
4. 本について語ること 出会いの書物 ●書物は、物理理的書物とそれを読む者とのあいだにある。 ●あるいは、本書により即した⾔言いかたをすれば、 書物は、それを話題にする者たちのあいだにある。 ●書物は「出会い」の産物なのである。 ●書物から⾒見見えるこの社会とはどのような社会なのだろうか。 ●バイヤールはそれを「演技」や「遊戯」の空間だという。 ●ありていにいえば、みんなが「読んでいるふり」をしつつ、 それを暗黙のうちに容認し合い、そのおかげで円滑滑に機能して いるような、フィクショナルな空間だということだ。 (⼤大浦康介「訳者あとがき」『読んでいない本について堂々と語る⽅方法』 ピエール・バイヤール著、筑摩書房、2016年年)
本になるには?
5.本になるには? 本について語ることの意義 ①いかに⾃自分の本の読みを⾔言葉葉にするか。 ②いかに⼈人と⼈人との関係を結ぶか。 ③本や⼈人との出会いを創出するか。 ④みんなが楽しめる空間をつくりだすか。
5.本になるには? 読書体験の共有 ①その本にどんなことが書かれているかを読み取る。 ②⾃自分が感じ取ったその本の⾯面⽩白さを、ほかの⼈人たちに 伝える。 ③⾃自分がなぜその本を⼿手に取ったのか、そのきっかけを 伝える。
5.本になるには? 読書という概念念 ①狭い意味での「読書」 ●⼀一⼈人で集中して「本を読む」⾏行行為のこと。 ●本を向き合う時間のみに注⽬目している。 ②広い意味での「読書」 ●「本を探す」「本を読む」「本を語る」「本を伝える」という 相互に関連した⼀一連の⾏行行為のこと。 ●「本を読む」の前後にも「本にかかわる」「本について考える」 などの時間がある。
5.本になるには? 創造的な本についての話題 ①本をどのように読んだのか。 ②本の内容についてどんな感想を持ったのか。 ③本をどう⾒見見つけたのか。 ④本とどのように出会ったのか。 ⑤本を読んで⾃自分はどんな⾵風に変わったか ⑥本からどんな影響を受けたのか。
5.本になるには? ①はたして⾃自分はどんな「本」になりたいのか、 いったいどんな「本」になれるのかについて、 考えられるようにするのが「教育」の役⽬目です。 ②そしてまた、 僕はどんな「本」になれるのかなぁ? を想像し、 僕はこんな「本」になろう を創造するためのきっかけの⼀一つになるのが、 ビブリオバトルというゲームの特徴です。
5.本になるには? ●僕らはそんな⾵風に、 本について語ることを通して、 そのたびに新しい本を創造します。 ●そして、⾃自分⾃自⾝身が本になります。
5.本になるには? ここにあった画像は削除しています 荒⽊木⾶飛呂呂彦『ジョジョの奇妙な冒険Part4 ダイヤモンドは砕けない』(集英社)より
5.本になるには? 岸辺露露伴(スタンド名:ヘブンズ・ドアー) ⼈人間の体にはいろんな事が 記憶されている…………… 今まで⽣生きてきた全てがね…… それを読むために君たちを「本」に変える! 君たち⾃自⾝身の⼈人⽣生が描かれた「本」にね。
5.本になるには? あらためて本とは何か? ①紙の本に記されたもの。 ②私たちが体験したもの。 ③私たちが辿ってきた軌跡。 ④私たちが⽣生きた証。 ⑤私たちが語り残したものすべて。 ⑥本とは私たち⾃自⾝身のこと。 ⑦本について語ることは私たち⾃自⾝身について語ること。
本はつながり
6.本はつながり 本を読むことは⼈人とつながること ①現在(同時代)に⽣生きる⼈人たちとの対話ができる。 ②過去に⽣生きていた⼈人たちとの対話できる。 ●古⽂文書は現在の地点から過去に遡るためのツールである。 ●デジタルアーカイブの技術によって、過去の⽂文献にも触れやすく なっている。 ③未来に⽣生きる⼈人たちとの対話ができる。 ●私たちが⽇日々の記録を残すことで、未来の⼈人たちが今の私たちを ⾒見見ることができる。 ●私たちは未来に語りかけることができる。 ●未来に⽣生きる⼈人たちは、きっと今の私たちのことを⾒見見ている。
6.本はつながり つながるための本になる(語る・創造する) ①⾃自分のこれまでの体験を⾔言葉葉にしてみる。 ②その⾔言葉葉を何かに書き留留める。 ③その⾔言葉葉を誰かに伝えてみる。 ④⾔言葉葉にするきっかけとして、ほかの⼈人の書いた本を 参照する。 ⑤⾔言葉葉にするきっかけとして、場を活⽤用して⼈人と出会う。 ⑥すべての本はどこかの誰かとつながっていく。
6.本はつながり ●読書体験を⾔言語化し、 ⾃自らを本にしていく⽅方法が必要 ↓ ●その⽅方法の⼀一つがビブリオバトル ↓ ●教育はそこにどう絡んでいけばいいのか?
6.本はつながり ●本⽇日は、いろんな⼈人たちを「本」に変えてきた 学校教育・社会教育・地域社会のスタンド使いの みなさまをパネリストにお招きしました。 ●教育とビブリオバトルとの愉快な関係について、 それぞれのお⽴立立場から語っていただきます。 ここにあった画像は ここにあった画像は 削除しています 削除しています